2015.01.27 【日译中】杀人之门(一)05

生田妹 (生田) 译心传心
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发表于:2015-01-27 22:50 [只看楼主] [划词开启]

   母の峰子は、活動的で勝ち気な女性だった。少なくとも私の目にはそう見えた。数字に強く、毎晩食卓の上に何やら書類を並べては、算盤をはじいていた。たぶん診療所の支出だとか収入を計算していたのだろう。時折横から父が口を出していたが、経理のことは母が任されているようだった。月に一度、どこからか税理士がやってきて、母といろいろ相談をしていた。いつも灰色の背広を着ている、痩せた顔の税理士だった。

 峰子是个做事勤快且性子要强的女人。至少在我眼里是这样。她比长计,每天晚上都会在餐桌上摆放一些资料,并拨打算盘。大概是在计算诊所的收支吧。有的时候父亲会从旁插嘴,不过财务上的事情都是由母亲负责。每个月会有一个不知道从哪儿来的税务到我家里,和母亲谈论很多事情。这个瘦脸税务总是穿着灰色的西服。


 母も診療所を手伝っていたから、私が学校から帰っても、家にいるのはトミさんと祖母だけだった。学校給食はまずくて殆ど食べなかったので、帰宅した時にはお腹がぺこぺこだった。そんな私のために、食卓の上には握り飯が用意されていた。母が作ってくれたものではなくトミさんの手によるものだということは、祖母が死んでから知った。トミさんが来なくなって以来、握り飯が食卓に載っていることがなくなったからだ。

  母也帮忙管理所,所以每次我从学校回来,家里也只有小富和祖母两个人。我嫌学校厨子手艺太差,午饭几乎都没怎么吃,等我放学回到家,肚子已经饿得咕咕叫了。于是餐桌上总会有专门为我准备的饭团。后来祖母死后我才知道,那是出自小富之手,而并不是母亲为我做的。因为自小富走后,餐桌上就再也没有出现过饭团了。


 それにもかかわらず、後年の私にとって母親の味とは、あの握り飯だった。あの味を思い出すと、懐かしくも切ない気分になった。

   即便如此,于多年之后的我来,那个饭团就是母的味道。一回想起那个味道,我就感到既怀念又难过


 親子揃ってどこかへ旅行したことは殆どなかった。日曜日になると父は釣りに出かけるし、母も友人と遊びに行くことが多かった。トミさんの作ってくれた昼食を、白黒テレビを見ながら食べるというのが、私の日曜日の過ごし方だった。

  家几乎没有全家人一起出去旅行。一到礼拜天父就出门钓鱼,母亲也大多是在和朋友一起玩。电视边吃小富为我做的,就是我度礼拜天的方式。


 トミさんはおばさんに見えたが、こちらが幼すぎたからそう感じたと思われる。実際には三十前だったのではないか。母が誰かに対して彼女のことを「出戻り」と陰口を叩いていたのを覚えている。せっかくいい家に嫁に行ったのにたったの二年で戻ってきた、それで家でぶらぶらしていても仕方ないのでうちで働いている――そういう内容だった。

  小富看上去像是我的阿姨,不得那是因小的原因。不好实际上她不过才二十多。我得母亲曾经在私底下对别人说她是“次品”。说她好不容易嫁了个好人家,才过两年就回娘家了,在家闲着也不是办法只好来我家干点活儿。

最后编辑于:2015-01-27 23:02

本帖来源社刊

分类: 日语
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