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神道の要領と心得④ 修祓 しゅばつ

半鬼半地藏 (鬼蔵(きぞう)) 中级粉丝
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发表于:2015-07-21 01:26 [只看楼主] [划词开启]
修祓

 修祓はハラヒともよむ。ハラヒはハラハム、ハラヒ、ハラフ、ハラヘと活用する語であって、払い除く意味がある。ハラは、散らすことを古語にハラクともハララカスともよみ、木の葉などが散るのをハラハラ散るというハラと同じで、このハラヒのハラには罪穢をハラケ除き去るの意味がある。

 修祓とは、人が心身を清浄にして、神明に親しみを求める法である。

 悪には犯と禍の二種の区別がある。犯とは、それを悪と知りながら良心を失い、自ら強いてこれを行うことである。禍とは、自ら悪いとは知らずに意無くして行うことで、理に反して道を違い、人を損して世を害す悪事のことである。犯よりは軽いとしても、罪が悪であることを免れない。このように、天神の神慮に背けば天罰は免れない。これを「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」という。しかしながら、天神は好んでこれを罰するわけではなく、義として免ずるわけにはいかないのである。したがって、罰があり、これを天神の義怒に触れるという。

 そこで仁愛なる天神は、この義怒に触れる者を憐れみ修祓の法を定めた。それは、悔悟の心を起こし、謝罪し今後を慎むことを欲する者や、罪科がない者でも神祇に親しみを求める者にこの法を行わせて、罪科がある者にはそれを脱して天罰を免れさせ、罪科がない者には心身を清明にし神明に親しむことができるようにした。これが、修祓の儀が存在する所以である。

 修祓には、祓と禊の二つがある。祓は、身の罪科を拭い去り心を明にして、真神を安んじ、罪をおかした者の罪科を脱し、天神の怒りをなだめる法である。また、禊は外身の穢濁を漱ぎ除いて清くし、身体を全うすることで神明の愛顧を求める法である。この内外の身を清明にする儀を、修祓の法という。

修祓の起源

 修祓は、神人の始祖である伊邪那岐伊邪那美の二柱の神が八十国嶋を産み、森羅万象の神々を産み、伊邪那美命は火の神を産んだ後に死んでしまった。伊邪那岐命は後を慕い追い、その国の穢れに触れて帰った後、筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あはぎはら)にて禊祓を行い、黄泉国の汚穢を脱して清明に復した。これを修祓の起源とする。その後、建速須佐之男命の勝佐備の御荒備により、天照大御神の天石窟に隠れることとなった。八百万神等が相議りて天照大御神を招き出した後、八百万神は速須佐之男命に千座置戸(ちくらのおきど)の解除を科し、その祓具を置座に置き、天兒屋命が解除の儀を行った。その後、天孫降臨の時、天照大御神は天下の人々を救うために、この神事の宗源を主とする天兒屋命に託して他の神事と共にこの法を天降した。これが修祓の儀が世に伝わったはじめである。神武天皇の御代には、天種子命がこれを勤め、その後は天種子命の子孫である中臣姓の人々が代々伝え、ついには中臣祓とさえいわれるようになり今日に及ぶ。



修祓の主神

 修祓の主神は、天神地祇ならびに祓戸に坐す四柱の神である。

 修祓を行うときに奏上する大祓詞の中に、「天津宣戸(あまつのりと)の太詔戸言(ふとのりとごと)を宣れ」とあることを受けて、「如斯(かく)宣らば天津神は天の岩戸を押開きて、天の八重雲を稜威(いつ)の道別(ちはき)に道別て聞食(きこしめ)さむ、国津神は高山の末短山(ひきやま)の末に昇り坐して、高山の伊保利(いほり)短山の伊保利を掻別けて聞食む、斯く聞食てば・・・遺る罪は非じと払ひ給ひ清め給ふことを、高山の末短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落多岐津(おちたぎつ)・・・」とあり、この修祓を行うについて、この罪科を払い除き清浄にするのは専ら天神地祇によるものである。そして、その天神地祇が払い清めたことによって修祓を行う者から解け去った罪穢は、国津神がこれを高山の末短山の末に持ち去り、「佐久那太理に落多岐津」とある佐久那太理以下は、「真下りに落ちる瀧津(流れの速い川)せ」ということであって、その瀧津瀬から流し遺されたものを、そこからは祓戸に坐す四柱の神の受け持つところとなり、速川の瀬からついに根国底国(ねのくにそこのくに)、いわゆる黄泉国に払い返して持佐須良比(もちさすらひ)失うものとなる。したがって、修祓は祓戸に坐す四柱の神によるものであって、天神地祇によるものではないこという捉え方は大いなる心得違いである。

祓戸に坐す四柱の神とは、一を瀬織津比賣神という。この神は亦の名を八十枉津日神、大枉津日神ともいい、伊邪那岐命が禊祓をした時、黄泉国の穢を忌悪す神である。

二を速秋津日神という。この神は亦の名を速秋津日子神、速秋津日賣神とも伊豆能賣神ともいい、伊邪那岐命が禊祓をした時にうまれた神であり水戸、すなわち荒潮(あらしほ)の潮の八百曾(やほあひ)に坐す神である。

 三を気吹戸主神という。この神は亦の名を神直毘神、大直毘神ともいい、伊邪那岐命が禊祓をした時に禍津日神からうまれた神で、枉事(まがごと)を直そうとの御心によってうまれた気吹戸に坐す神である。

四を速佐須良比賣神という。この神もまた禊祓をしたおりに伊邪那岐命が鼻を洗ったときにうまれた神であり、根国底国で速須佐之男命と力をあわせて坐す神である。

 このようにして、四柱の神はみな伊邪那岐命が黄泉国の汚穢を禊祓した時にうまれた神である。そして、禊祓を主とする修祓の儀によって天神神祇が修祓する者から解き除き払い去った罪穢を、真下りに落ちる瀧津瀬より流し、速川の瀬に坐す神がそれを受取り、潮の八百曾(やほあひ)に持去り、気吹戸を経て根国底国に気吹を放ち却り、根国底国においてついにその罪穢を持佐須良比失うこと、すなわち大祓詞にある内容と同様である。

これらの神を祓戸に坐す四柱の神という。



修祓の本義

 修祓の本義を明らかにするには、先に述べた罪穢が生じる理由を詳しく説明しなければならない。

 この宇宙の現象とは、上に清明純良な天国があり、下に暗濁醜穢な根国があることに関係がある。この国土はその中間にあり中位を占める国であるので、天国には天神がいてこの国土の善良を守る。根国には禍神(まがつかみ)がいて、この国土を邪悪に誘おうとする。まさにこれが、この国土において吉凶禍福利害得失が行き交う理由である。

 これによって、この国土に生まれる人類の内にある天国に属する風火の性を具える心霊は、天神が与えたものなので天国に復帰しようとする性質がある。また、肉体は父母より受るとはいえ根国に属するものであるので、その肉体のために暗濁な情欲を起こすことがある。そのような時には、その情欲におおわれて良心を暗まし、ついに罪悪に陥って根国に堕る原因となってしまう。したがって、人が心に善念をいだく時は、天神がその心に入って進んで善事を行わせ、人は美徳をつむ。これを「天神の恩頼(みたまのふゆ)を蒙る(かがふる)」という。

 また、これに反して、人が心に悪念を萌す時は、禍神(まがつかみ)がたちまちその心に入り進んで悪を行わせ、人は悪を行う。これを「禍神に相率(まじこ)り相口会(あいくちあ)ふ」という。その根国より荒び来る禍神が、この国土の人類や一切の物を邪悪に誘い混乱させることで、世界を困厄艱難に陥らせる。つまり、国の大事から一個人の小事に至るまでこれに関わる。人の心に陰邪の念が動くことがあるときには、必ずその邪念の中に禍神は混入して、たちまちそれを増長して、悪事を行わせ罪科に陥れる。以上が、罪科の起こる原因である。

 このようにして、禍神に相率り相口会いて大小の罪科に陥り穢濁の身となった者はその罪科の軽重によって、在世の間は種々の苦痛を感じ死後の霊魂でも根国に陥ることを免れず、禍神に相率り、それと同類に陥ってしまう。これを天神が憐れみ修祓の法を定めて行わせ、その肉体と心霊の罪穢を解き去り、その罪穢のみを根国底国に却し、その者の心身を清明にして在世の間には無量の快楽を保たせ、死後にはその清明な心霊が天国に帰ることができるようにした。これが修祓の本義である。



修祓の行事

 修祓を行うにあたって、その行事の中で塩水を灌ぎ祓串を振ることがある。これはすなわち浴水払除を形質上にしめすものである。人類の体質は水土の二種から成り、心霊は風火の二物から成ることは先に述べたが、水土の二種は共に有形物であって、土は有形の粗なもので、水は有形の密なものである。また、風火の二物は無形物であって、火は無形の粗なもので、風は無形の密なものであるのは有形の水土と同じである。水土の二物から成る体質の外部が、その有形の粗である土気に属する垢で塗られた状態を汚穢という。この汚穢は、その有形の密である水で洗い漱ぐ以外にない。すなわち水浴である。また、風火の二物から成る心霊の内部に、無形の粗な火気に属する婬悪邪欲の妄念を起こして悪事を積む、これを罪科という。この罪科は、無形の密な風によって払除する以外になく、これがすなわち祓除である。

  このようにして、天神はこれを修祓の法と定め天津宣戸(あまつのりと)の太宣刀詞(ふとのりと)によってその由を天神地祇に告げ、解縄(ときなわ)と解き、切麻(きりぬさ)散米を散らし、塩水を灌ぎ祓串を振るのがこの行事である。祓串を振り塩水を灌ぐのは、その人の内心の罪科を払い、身の汚穢を洗う形を表すものである。たとえば、生活の中でも、汚穢は水で洗い塵埃は風で払う以外にないようなものであって、解縄を解き切麻散米を散らすのは、心霊と体質から罪穢が解離れ失い去る様子を表すものである。この神事によって、離れ去る罪穢は国津神が持ち去って高山の末短山の末より佐久那多利、すなわち真下りに落ちる瀧津瀬に流す。以上が修祓の真意である。



修祓の功徳

 修祓を行うことで、悔悟の念をいだく者がその罪科穢濁を脱却して清明に復することができる。これは、修祓の功徳の無量無邊である理由である。ここに古例をあげれば、伊邪那岐命が禊祓をして黄泉国の穢れを解除したことによって天照大御神、月讀命、速須佐之男命の三柱の貴子がうまれ、また、速須佐之男命も解除の式を受けることによって清々しい御心となり、後に八百万神に追われ天下に降りて八岐大蛇(やまたのをろち)を征伐して櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)を娶りこの国の基を起こして世界大成の道を開き広大無邊の功業を立てた。これはみな、罪穢を除いて清明に復して不吉を転じて幸福とした事実である。したがって、一個人の小事から国家の大事に至るまでこの修祓の儀の功徳が至廣至大に及んでいることになる。これによって、神武天皇がこの国を平定して天罪国罪を祓わせ、仲哀天皇が崩御した時には神功皇后は国の大奴佐(おおぬさ)を取りて種々の罪を求めて国の大祓を行わせ後に朝廷の大祓、国の大祓が行われた。また、大上中下の四等の祓があり、その軽重によって臨時に祓を科せられることとなって、ついに毎年六月十二月の晦日に大祓が行われることが恒例となったのは、この修祓の功徳が無量無邊であるからである。すでに、この儀式が厳かに行われた時代には皇威赫々であったが、円融天皇の御世ごろからこの儀式がおざなりになると、その後数世を経る間に皇室も微に傾いていった。その後数百年を経て東山天皇の元禄年間に至り祓の儀を再興し、これを清祓とよび毎年行うことになると、漸次に皇威は回復し、皇政維新がおこり明治四年には節折大祓の旧儀を再興し、明治五年には毎年六月十二月晦日に大祓を全国で行うことなり、皇威が再興することになったのは偶然のことではなく、この修祓の功徳によるものである。

 したがって、人々が修祓の法を常に怠ることなく行えば、家の祖先に罪科があれば自然にそれが消滅して、子孫永遠に禍原を除き、慶福を招き、富貴繁栄の家となる。心身ともに安楽で死後には霊魂が天神の親愛を受けることができる。すなわち、神明の域に復帰して永く天国の快楽を受けることができる。罪科がある者ですらそうであるのだから、無罪の者がよくこれを修めれば広大無邊の功徳を得ることができるのは、言うを待たない。

  宮地嚴夫『神道要領』第四修祓 より

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