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神道の要領と心得⑤鎮魂 ちんこん

半鬼半地藏 (鬼蔵(きぞう)) 中级粉丝
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发表于:2015-07-21 01:27 [只看楼主] [划词开启]
鎮魂

鎮魂をミタマシツメともいう。ミタマとは、ミは御であり賛美の詞である。タマのタは、高立足健宝尊にいうタと同じく、足り満ちる義である。マは真の義がある詞である。したがって、タマと二語を合わすときには、足真(たま)という意味を表す。すなわち、それはまったく豊かで美しく、少しも欠陥がなく充実した、真という意味の名となる。玉をタマと言うのも、玉の円相で充実透明な状態が、ミタマが至精妙有で宇宙に充満する様子に似ていることから来た名であって、御霊(みたま)の玉に似ているからではなく、玉の御霊に似ていることから来た名でる。この足真(たま)は最も尊いので、特にこれを尊称してミという賛美の語を加えてミタマというようになった。 したがって、ミタマはこの宇宙を主宰する神霊の名であるべきだが、後には人類やその他の物の霊にも相通じて用いる名となった。よって、人魂やその他の物の霊であってもミタマとよぶ理由は、元来人身をはじめその他の物の中に入る霊魂は、それを遡れば天地の大元である天之御中主神の大神霊と同一物であって、その微分子に他ならない。

 また、シヅメは物が浮き漂い動いて治まらないものを、押し鎮める意味の語である。したがってミタマシズメとは、その霊魂の活動により念を起こしてそれを凝らして心となり、その心が理に由らず道に随わず、妄念となり、自ら御足真(みたま)の徳を失ってしまうところを、押さえ鎮めてその本来の魂に戻す法である。したがって、人はこの意味を知って常に真実無妄の地に安じて情欲の誘惑を被ることなく、妄念の雲霧に蔽われることなく、よく霊魂の徳を全うして天から与えられた性を尽くすときには、その大元である宇宙の大神霊と妙応感合して一体となり、いわゆる神人不二の域に進み神とも聖人ともなることができる。これを天神は鎮魂の法と定め、十種の瑞宝といくつかの妙理とによって、鎮魂の神の冥護を受け、種々の禍害の起因となり疾病の原因になる妄念妄想すなわち遊離の魂を招いてこれを身体の中府いわゆる丹田の中に鎮め保ちこれを養い、本来の性に返し、更にこれを霊魂の本所である頭脳の央に安じ、それを体中に満ち巡らして、それを守り慎みその徳を高くすることで、心霊の位階が進み、ついにその本源の宇宙の大神魂と一体となり、人生の本分を全うして、延べて神祇に接することを得るに至ることがでる。すなわち、人でありながら神位に進む道である。これを鎮魂の概略とする。



鎮魂の起源

 鎮魂の儀は、天地開闢のはじめから宇宙にその理を胚胎してきた。人類そして万物の始祖である伊邪那岐神は黄泉国の穢に触れてこの国に帰った後、筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あはぎはら)にて禊祓を行った時、その黄泉国の穢を忌悪する御心によって禍津日神の生まれたが、その神のみでは禍事ばかりが生じるので、その禍を直そうとする伊邪那岐神の大御心によって、更に直毘神が生まれた。そこから次々に禊祓を行いその終わりに、すべての穢れが清まったので、自然と大いなる神慮が鎮まるに至り、ここにはじめて天照大御神を始め、貴の御子等が生まれた。すなわち、その端倪が初めて表れたところであった。鎮魂際には、必ず大直毘神を祭るのはこれに由来する。しかしながら、これを鎮魂の起源であるとは言うことができない。その後、天照大御神が天石窟に隠れると、天鈿女命が神楽の長となり招き出した事に始まり、天孫降臨の時に他の諸祭儀と共にこの法も天降り、それによってこの儀が世に伝わったのを始めとする。それ以来、天皇新嘗祭前夜にこれを行われている。その後、神武天皇の御代になって、饒速日命が天神より伝えられた十種の瑞宝によって行う法と、この国土在来の儀式とを合わせたものを宇麻志摩治命が天皇皇后のために行って以来、永く朝廷の儀式となり、ついに今日まで伝わるに至った。この儀式は朝廷の儀式のみならず、臣民もこれを修めるようになった。これがこの道に進む手ほどきとなり、古代の人が上下共に神武であり長寿であるだけでなく、顕幽分界の後でありながら、霊妙神異の出来事が多く、人が神に交わり、神が人に憑く事跡は少なからずある。この国が神国と呼ばれる理由はこれに由る。



鎮魂の本義

鎮魂は、遊離の運魂を招いて身体の中府に鎮める儀である。運魂とは、職員令の義解には「人の陽気を魂という 魂は運である」とあり、人の魂気は妙用自在で少しの間も運転活発の機を失わない。したがって、これを名づけて運魂という。運魂とは一名であって、それを大別すると二種ある。一つを魂といい、またヲタマシヒともミタマともいう。二を魄といい、またメタマシヒとも、ミカゲともいう。言い換えれば、性と情となる。この性すなわち魂は、人類が天神から稟受する無形の妙霊、物に触れ事に感じて少しも変化することなく、元から具有する真理のままに発動するものであって、良心といわれるものがこれである。また、情すなわち魄は、有形である肉体の関係いわゆる情欲の率惑によって元から具有する真理のままに発動することができず、転展変易して運動するもので、これを人心といい、人欲といわれるものがこれである。耳目鼻口の所感にまかせて視聴言動の所作を慎まない時には、知らず知らずのうちに真理に背き、正道に背き、あるいは禍害や疾病の根種となり、ついに苦痛や死を免れることができなくなる。これが運魂の名がある由来である。これゆえに、人は常にこの運魂を鎮めて静閑にして、情のために性を闇まされることがないように、宇宙の大神霊と妙応感合するべきである。

  宮地嚴夫『神道要領』第五鎮魂 より

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