2014.07.26【日译汉】学校每周五日制的影响

秦紫郁 (しし) 译坛新宠
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发表于:2014-07-26 20:43 [只看楼主] [划词开启]

                                    学校週五日制の波紋

                                   学校每周五日制的影响

 

    2002年度から、新学習指導要綱に基づいて、公立学校で学校週5日制が開始された。それはこれまでの学校教育が受験に向けた「知識偏重の詰め込み教育」に歪み、不登校や校内暴力、いじめなど「学校の荒れ」をもたらしたとの反省に立って、子供たちが「ゆとり」をもって学習できるようにする、また、「学校、家庭、地域社会が相互に連携しつつ、子どもたちに社会体験や自然体験など様々な活動を経験させ、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力などの『生きる力』をはぐくむ」という趣旨に立って行われた教育改革であった。

根据新学习指导纲要,从2002年开始,日本的公立学校开始实行学校每周五日制。此项教育改革是为了纠正迄今为止面向考试“偏重知识死记硬背型”的教育方式,立足于反省逃学、校园暴力、校园欺凌等“校园恶劣”问题,让孩子们“宽松”学习,“学校、家庭、社区相互协作,让孩子们获得对社会、自然等各种各样的活动经验,培养孩子们自主学习思考的能力、丰富他们的本性,为了健壮成长增强健康和体力”,即“生存的能力”。

 

 
  しかし、「ゆとり教育」のために学習内容が削減されたことで、マスコミなどは一斉に「学力低下への不安」を騒ぎ始めた。しかも、私立で週5日制を実施する学校が、わずか55%に過ぎないという状況が明らかになるとともに、公私間で今まで以上に学力格差が拡大するのではないかという不安も重なって、親や教師たちからの不満が噴出した。改革を推進すべき文部科学省は、こうした親や教師たちの声に抗し切れなくなり、「勉強をしたい子どもがいれば、補習をしても問題はない。」と姿勢を転換したのだが、そのために公立学校でも土曜補習などの取組みが一気に広がり、「ゆとり教育」の方針にも矛盾が生じ始めたのである。これは文部科学省自らが受験競争の現状を追認したに等しく、教育改革に対する基本的な姿勢さえ疑われかねない事態となったのである。
     但是,由于“宽松教育”削减了学生学习内容,大众媒体等开始一起针对“担心学习能力低下”问题进行争论。而且,很明显,仅仅只有不超过50%的私立学校实施每周五日制,同时,对公私立学校学生学习能力差距扩大这一问题的担忧也在增加,于是,父母和老师们的不满爆发了。致力于学校改革的文部科学省为了顶住父母和教师们反对的压力,转变态度称“孩子如果想学习,上补习班也没有问题”。但是,因此事而导致了公立学校也广泛采取周六补习方法,开始与“宽松教育”方针相矛盾。这等于是文部科学省事后承认考试竞争的现状,很可能让人怀疑其对待教育改革的基本态度问题。

 



学校週五日制の完全実施をめぐる議論の中で、繰り返し語られたのは「土日は子どもを家庭に返そう。」ということだった。子どもたちは、休日が増えたことを一様に歓迎しているのだが、親たちは学力低下が叫ばれる中で、我が子をのんびりさせてしまっていいのか、複雑な思いの中にいるがドミノ倒しのように各地域に広がるとすれば、学校五日制がなし崩しになる恐れがある。

在围绕完全实施学校每周五日制这一问题的议论中,呼声最高的就是“周末是孩子们回归家庭的时间”。增加孩子们的休息日这一举措受到大家一致欢迎,但是在父母们“孩子学习能力低下”的担忧中,在“我家孩子每天无忧无虑真的好吗”的各种复杂想法中,要想让学校每周五日制在各地方普及,恐怕还要一点一点地开始做。




 この問題は、もう一度、教育改革の原点に立ち返って考える必要がある。もし「学力」を今までのような「知識の量」ととらえるのであれば、教える時間も中味が減れば、「知識の量」は減るのだから、「学力」は低下するのは当たり前である。しかし、「知識の量」のみで生徒を選別する受験制度や、個性を無視した画一的な授業の押しつけなど、「学歴や知育の偏重が子どもの荒廃を生み出している。」として、基礎基本を重視したゆとりある教育、個性に応じて子どもの力を伸ばすための選択科目の拡大などの改革に踏み切ったはずである。

关于这个问题,有必要再次重新站在教育改革的原点上进行思考。如果“学力”主要就是至今为止所谓的“知识量”的话,如果上课时间和教授内容都减少,那么“知识量”减少了,理所当然“学力”也就低下了。但是,只根据“知识量”来选拔学生的考试制度、强制进行无视个性整齐划一的授课方式等等,“这种偏重学历和知识的教育方式会让孩子们荒废”。因此,应该果断进行改革,实行重视基础基本的宽松教育方式,为提升孩子们的能力,根据孩子们个性的不同增加可选择的科目数量等等。




 戦後の日本は、欧米先進国に追いつけ追い越せとばかりに、先進国の文化や学問、知識を吸収してきた。確かに、その際に必要な学力は知識の量であったが、今の日本に求められている学力は、国際化する世界にあって新しい日本を創造していく力、新たな技術・文化を創造していく力である。言い換えれば、「自ら考え、課題を見つけ、主体的に課題を解決していく力」こそ「新しい学力」なのであり、「生きる力」に他ならない。
    战后的日本正是为了赶超欧美先进国家而吸收了先进国家的文化、学术、知识。确实,在那一时期必要的学力即知识的量,但是,现在日本追求的学力是创造立足国际世界的新日本的能力,是创造新技术、文化的能力。换而言之,这正是一种“自主思考、探索新课题、独立解决新课题”的“新型学力”,是一种“生存能力”。



  「ナンバーワンになるよりも、オンリーワンに」と訴えるSMAPの「世界に一つだけの花」が、中高生や若者の心にしみ込んでいったのは、決して偶然ではない。受験や出世競争に勝つことだけが人生ではないと、彼らは気づき始めているのである。趣味であれ仕事であれ、或いはスポーツであれ、人は自らしたいと思って選んだことであれば、誰に言われなくても自発的に学ぼうとする。「生きる」とは、正に一人一人が「世界に一つだけの花」(=個性)を咲かせることであり、再び子供たちを学歴や知育の偏重の教育に追いやるようなことがあってはならない。思えば、強制されていやいやすることを表す「勉強」という語を、学習の意味に使う日本人の教育観そのものに、そもそも問題があったのではないだろうか。

 SMAP乐队在《世界上唯一的花》这首歌中所说“比起做NO.1更想做Only One”的想法渗入了初高中生和年轻人们的心中,这绝对不是偶然的。他们开始感觉到人生并不仅仅就是在考试、升职中胜出。不管是兴趣也好、工作也好、或者运动也好,如果是自己选择的自己想要的,别人不说自己也会自发地想去学习。“生存”是让每个人那 “世界上唯一的花”开放,这不是偏重学历和知识教育的教育方式能够做到的。细想一下,把表示被强逼着不情愿地学习的单词“勉强”用来表示学习的含义,日本人的这种教育观本身难道不是有问题的吗?

 



这篇文章快把我翻译吐了,长句子比较多,组织语言很花脑筋。文中有多处我不确定的地方,请求指教!

最后编辑于:2014-10-30 16:49
分类: 日语
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