2014.07.27【日译汉】神道与日本人的宗教观

秦紫郁 (しし) 译坛新宠
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发表于:2014-07-27 14:53 [只看楼主] [划词开启]

神道と日本人の宗教観

神道与日本人的宗教观

 

  外国の人たちにとって、日本人の宗教観はとても理解しがたく、奇異に見えることが多いらしい。子どもが生まれたら神社にお詣りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、死んだらお寺で葬式を挙げるといったことは、キリスト教やイスラム教など、一神教の世界に住む人々には信じられない現象だからだ。

    对外国人来说,日本人的宗教观非常难以理解,奇特的事情也特别多。孩子出生的时候就要去神社祭拜,结婚仪式在基督教堂举行,死后葬礼又在寺庙举行,这些都是信奉基督教、伊斯兰教等单一教的人们觉得难以置信的事情。



  朝日新聞が1995年に行った調査では、個別の宗教に対する信仰は、仏教系26%、神道系2%、神仏両方1%、キリスト教系1%となっている。信仰をもっている人々の割合は約30%で、諸外国に比べてもかなり低いのである。 ところが日本の半数以上の家庭は家に神棚や仏壇が祀ってある。神棚や仏壇を祀っているからには、信仰を持っていてもいいはずなのだが、実は当の日本人には信仰をもっているという自覚はないのである。

     根据朝日新闻在1995年进行的调查显示,日本个别宗教的信仰人数比例为:佛教26%、神道2%、神佛皆信1%、基督教1%。有宗教信仰的人数大约占总人口的30%,跟外国比起来这个比例相当低。但是,日本一半以上的家庭设置神棚、佛龛用来祭祀。既然有了神棚和佛龛用来祭祀,那有了这个信仰也行吧——但是实际上这个日本人根本就没有信仰的自觉。



 日本の古い民族信仰は、「八百万の神」と言われるように自然崇拝の多神教であり、太陽、月、海、山、川、木、また雷、風などの自然物、自然現象などに神聖さや恐れを感じ、それを神として敬うものであった。やがて水稲栽培の普及とともに弥生期に入り、氏族社会に移行し始める。そこでは氏族構成員がそのまま宗教集団となって氏神を祀り、災厄を免れ、五穀豊穣を祈り感謝する農耕儀礼と結びついた共同祭祀が行われていた。豊作を祈る春の祈念祭と、実りを感謝する秋の収穫祭が最大のものだが、それを行うのが神道であり、特定の教義もなく、宗教というよりも、むしろ祭りだったのである。

  日本古老的民族信仰是一种叫做“八百万大神”的对自然崇拜的多神教,这其实是对太阳、月亮、海、山、河流、树、雷电、风等自然物、自然现象产生神圣感和恐惧感,从而将它们作为神来崇拜。不久,随着水稻的普及、进入弥生时代,日本开始进入氏族社会。氏族的成员组成集团组成宗教集团,将祭祀本氏族的神、祈祷免灾、祈祷感恩五谷丰登等农耕礼仪结合起来,举行共同的祭祀。祈祷丰收的春季祭祀和感谢丰收的秋季祭祀是最大的两次祭祀,但是这是一种神道,没有特定的教义,与其说它是宗教,倒不如说只是一种仪式。




 仏教が伝来し、奈良時代には国家仏教政策が進められたが、宮中においては、依然として仏事と神事のどちらも行われていた。教義を持たず、共同体に加わるものを全てを受容する神道は、仏も神の一人として受けいれたのであり、神社では神仏習合が進められた。その長いプロセスを通して、日本人の脳裏には、もっぱら人間の生にかかわる通過儀礼を受け持つのが神道、人間の死にかかわる通過儀礼を受け持っているのが仏教という棲み分けが生まれたと言うこともできる。日本人にとっては、神道と仏教は相互補完的なのものであり、あまりにも生活慣習と密着しているために、宗教とは意識しにくいのである。

   佛教传入日本后,在奈良时代国家制定了佛教政策来推行佛教,但是在皇宫里仍然都会举行佛事和神教仪式。没有教义、接受其他同类的神道,将佛作为神的一员包容进来,在神社中将神佛合体。经过很长时间以后,可以说在日本人的脑子里神道和佛教变得可以分栖共存,专门负责跟人“生”有关的通过礼仪的是神道,负责跟人“死“有关的通过礼仪的是佛教。对日本人来说,神道和佛教是互补的,由于跟生活习惯密切相关,所以日本人很难意识到宗教的问题



 しかし、外国の人は正月の初詣の光景を見て驚く。初詣客の最も多い東京の明治神宮には、正月三箇日に300万人を越える人々が参拝するが、イスラム教徒のメッカへの巡礼でも、それほど多くの人間が一度に一つの場所に集まることはない。日本人には宗教行動だという意識はなくても、宗教施設への参拝は、外国の人から見れば宗教行動そのものなのである。

   但是,外国人看到日本人正月新年首次参拜的情景会非常吃惊。东京的明治神宫参拜人数最多,正月三天有超过300万人前来参拜,到麦加巡回朝拜的伊斯兰教教徒也不曾有过这么多人聚集在一个地方的场面。日本人并没有宗教行为的意识,但是在外国人看来,这本身就是一种宗教行为。



 こうして多くの異国の神々を受け入れてきた神道であったが、明治維新後は大きく様変わりすることになる。なぜなら明治政府は、「万世一系」の天皇を頂点とする日本の支配体制を正当化するために、天皇を「現人神」とする国家神道を確立しようとしたからである。全国に廃仏毀釈運動を起こし、学校でも天皇・皇后の肖像である「御真影」への最敬礼、教育勅語の奉読、「君が代」斉唱などが義務づけられた。この維新から敗戦までの一時期は、日本のような伝統的な多神教社会では、一神教が国民に強制された極めて異常な一時期だったと言える。

    如此包容众多异国之神的神道,在明治维新后发生了很大的改变。这是因为当时的明治政府为了使“大统永继”天皇至上的日本统治体制正当化,要将天皇作为“现世神”确立起国家神道。于是在全国掀起了废佛弃释的运动,学校里也挂上天皇和皇后的肖像,对着“御照”行最高礼、奉读教育敕语、齐唱《君之代》等成为了一种义务。从明治维新到日本战败的这段时期,是在日本这传统型多神教社会里,强制国民信一种教的极端异常时期。

最后编辑于:2014-10-30 17:15
分类: 日语
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