2014.07.27【日译汉】从奇迹般的战后复兴到经济泡沫破灭

秦紫郁 (しし) 译坛新宠
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发表于:2014-07-27 21:57 [只看楼主] [划词开启]

 奇跡の戦後復興からバブル崩壊へ

从奇迹般的战后复兴到经济泡沫破灭


戦後の日本は焼け野原から出発したと言っても過言ではない。大戦直後の日本は、その国富の四分の一を失い、生産はほぼ麻痺状態だった。仕事のない復員軍人が町に溢れ、生活物資は欠乏し、物価はうなぎ登りに上昇していた。米軍相手の娼婦が街角に立ち、米を食べられる人は国民のごく少数で、野草を摘んで芋粥に入れて食べるような生活が、普通の人々の暮らしだったのである。

战后的日本可以说是从一片火烧后寸草不生的土地上开始复兴的。刚刚结束战争的日本,失去了国家资本的四分之一,生产基本处于瘫痪状态。失业的复员军人们充斥街道,生活物资缺乏,物价急剧上涨。招揽美军生意的妓女站在街角、极少人能够吃上米饭、摘来野草放入红薯粥中充饥——这是普通日本人民生活的真实写照。


 そんな日本が復興のきっかけを掴んだのは、朝鮮戦争だろう。米軍への軍需が増大し、経済は活性化し、電力・鉄鋼・造船などの設備投資が一気に増大した。この朝鮮特需を通して日本経済は1955年には戦前の水準にまで回復したのである。この特需を抜きにして日本経済の戦後復興は語れない。以後、日本は重化学工業を中心にして高度成長を遂げるわけだが、それを加速したのは池田内閣の「国民所得倍増計画」であり、企業は本格的に重化学工業への設備投資を拡大した。特に、60年以降の家電産業と自動車産業の発展には目覚ましいものがあり、それらの海外輸出を通じて、年率10%台の経済成長を続け、68年にはアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となったのである。1960年から10年間で、日本の国民総生産(GNP)は実に2.6倍に伸びている。

而如此衰落的日本抓住的复兴契机正是朝鲜战争。美军增大军需,激活了经济,电力、钢铁、造船等设备投资迅速增加了。通过将朝鲜特需提供给美国,日本经济在1955年就恢复到了战前水平。没有这些特需就谈不上日本战后经济复兴。之后,日本将重化学工业作为发展中心来取得高度成长,但是,加速其成长的还是池田内阁出台的《国民收入倍增计划》,企业因此正式扩大了对重化学工业的设备投资。特别是1960年以后日本家电产业和汽车产业获得了惊人的发展,通过向海外出口,以一年10%台的增长率获得经济成长。1968年日本成为仅次于美国的世界第二大经济大国。从1960年开始的十年间,实际上日本的国民生产总值(GNP)增长了2.6倍。




 この高度成長の外的条件とすれば、日米安保条約というアメリカの核の傘の下で軍事費の支出が抑えられ、その資金を財政投融資として産業基盤整備に振り向けることが可能であったこと、固定相場制(一ドル=360円)が輸出主導型経済成長を可能にしていたこと、安価で安定的な資源や石油の輸入が可能だったことなどが挙げられるだろう。内因とすれば、政府主導の積極的な民間企業育成政策や、道路、港湾、空港、通信、工業立地としての干拓事業などの社会資本整備への財政の重点的投資が挙げられる。また、日本型経営と呼ばれているが、日本企業が労使一体で企業の発展を目指したことも重要な要因であったに違いない。

日本经济如此高度成长的外部条件是:日本在《日美安全保障条约》这一美国保护伞下,抑制了军费支出,实现了将这些资金作为财政投资与融资转用于产业基本整顿;实行固定汇率制度(1美元=360日元),使发展出口主导型经济成为可能;实现廉价、稳定的资源、石油进口等等。 内因则是:由政府主导,积极对社会资本整顿进行财政重点投资,如积极投资实行民企培养政策,投资道路、港湾、机场、通讯、工业开发的排水事业等等。另外,日本企业劳资一体,以企业发展为共同目标——这种日本式的企业经营方式无疑也是经济迅速发展的重要原因之一。
  


 
 1965年の日韓条約締結以降は、日本企業のアジア進出が目立った時期だった。日本政府がODAで受け入れ国の産業基盤を整え、続いて民間企業が進出して現地生産し、その低コストの製品を海外輸出するというパターンが官民一体で進められた。このODAや日本企業の進出が、アジア諸国の工業発展に寄与した面を無視するべきではないが、受け入れ国の人たちから「エコノミック・アニマル」と批判されるほど、露骨なひもつき援助であったのも事実で、東南アジア諸国では日本商品ボイコット運動が起こったぐらいである。
   1965年缔结日韩条约之后,是日本企业进军亚洲取得令人瞩目成就的时期。日本整顿接受其政府援助国家的产业基础,使它们成为日本民营企业海外出口的当地生产地,推行官民一体、出口低成本制品的模式。这种政府援助和日本企业的扩张给亚洲各国工业发展带来了积极影响——这一点是不能否定的,但是,接受国的国民甚至开始批判日本,称日本人为“经济动物”,日本将其援助附加上露骨的条件这也是事实,所以在东南亚各国掀起了抵制日货运动。




 しかし、この日本の高度成長も、1973年から74年にかけての石油危機によって終焉を迎えることになる。石油危機は、資源小国日本にとっては国家の存亡がかかった大問題だった。日本は国と企業が一丸となって、省エネルギー型産業構造への転換を進めた。その結果、日本の製造業は世界に先駆けてロボット、NC(数値制御)工作機械などの導入に踏み切り、徹底した省エネルギー・省力化によって、この危機を乗り切ることに成功した。そして国際競争力を高めた日本製品は世界市場を席巻し、80年代の安定成長に入った。日本人は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という優越感に酔いしれた。しかし、「驕る平家は久からず」とはよく言ったもので、日本はバブル景気に浮かれ、1990年のバブル崩壊後は「失われた10年」と呼ばれる深刻な不況に突入することになる。

  但是,日本经济的高度成长,在1973年到1974年间发生的石油危机中走向了尽头。石油危机是关系到资源小国日本生死存亡的大问题。日本国家和企业团结一致,将产业结构向节能型转变。结果,日本制造业毅然引进世界先进机器人、数控工作机械等,靠彻底的节能、省力化成功渡过了危机。于是,拥有高国际竞争力的日货席卷世界市场,经济在80年代进入安定成长时期。日本人沉醉在“日本第一”的优越感中。但是,正如人们常说的“骄兵必败”,日本在泡沫景气中飘飘然,而在1990年泡沫经济破灭后,日本突然就进入到称为“失落的十年”的严重不景气时期。



最后编辑于:2014-10-30 16:43
分类: 日语
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