2015.01.30【日译中】島木健作 黒猫 01

沐小诺 (一只猫而已)
【A+研究所】荣誉会员☆网校制霸
译坛英杰
79 13 0
发表于:2015-01-30 14:22 [只看楼主] [划词开启]

 病気が少しよくなり、寝ながら本を読むことができるようになった時、最初に手にしたものは旅行記であった。

病情有些好转,可以躺着看书时,最初拿在手上的是本旅行记。


以前から旅行記は好きだったが、好きなわりにはどれほども読んでいなかった。

虽然以前开始就很喜欢旅行记,但几乎没怎么看。


人と話し合って見ても旅行記は案外読まれていず、少くともある種の随筆などとはくらべものにはならぬようであった。

试着与人交谈后,很意外的发现大家都没有翻看旅行记,至少无法与某些随笔等相比。


自分にとって生涯関係のありそうにもない土地の紀行など興味もなし、読んで見たところで全然知らぬ土地が生き生きと感ぜられるような筆は稀《まれ》だし、あるなつかしさから曾遊《そうゆう》の地に関したものを読むが、それはまたこっちが知っているだけにアラが眼につく、そういうのが共通の意見であるようだった。

对自己而言,与生活中毫无关系的领土的游记也无兴趣,即便看完之后,像能对完全陌生的地域产生种生机勃勃的感觉的文笔也是少数的,看一些关于令人怀念的曾游之地的介绍,正因为自己熟悉只是粗略的扫了一眼,就好像这些都是共通的看法。


私自身も紀行の類《たぐい》を書きながら、こういうものを一体誰が読むだろう、そう思って自信を失ったおぼえがある。

我自己也一边写着游记类的文章,一边想着到底谁会去看这样的书呢。还记得因为这样想着失去过信心。


それが今度長く寝ついて、誰よりも熱心な旅行記の読者は病人にちがいないということを信ずるようになった。

这次长时间卧病在床,让我相信了病人正是比任何人都热情的旅行记的读者。


 私は間宮倫宗を読み松浦武四郎を読み、菅江真澄を読んだ。ゲーテを読み、シーボルトを読み、スウェン・ヘディンを読んだ。明治以後の文人のものは誰彼を問わず、家にあるものを散読した。

我看过间宫伦宗(间宫林藏),松浦武四郎,菅江真澄的书。
读过歌德(约翰•沃尔夫冈•冯•歌德)、西博尔德(菲利普•弗兰兹•冯•西博尔德)、赫定(斯文安德斯赫定)的书。
明治以后的文人写的书不管是谁的,家里有的书都翻看了。


そうして幾らもないそれらの本が尽きてしまうと、地理学の雑誌を枕もとにならべさせた。


就这样那些没多少的书看完之后,不得已得把地理学杂志排放在了枕边。





初次发贴   也不知道行不行!!

最后编辑于:2015-01-30 23:32
分类: 日语
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