�文学少女�と繋がれた愚者《フール》:二章 レモンクッキーは青春の味

发表于:2015-05-05 18:59 [只看楼主] [划词开启]
时间:2015-05-05 18:59~2015-05-31 02:00
地点: 南京
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知道了

二章 レモンクッキーは青春の味

 

 配役決定から数日間、ぼくは部室でシナリオ執筆に専念することになった。

「武者小路の小説は、主人公の独白的な地の文と会話文で構成されているから、シナリオにしやすいはずよ。心葉くんならできるわ。頑張って」

 遠子先輩は笑っていたけれど、いくら会話文が多いからって、そのままそっくりシナリオに移し替えられるわけじゃない。それに役者が足りないから、杉子の兄の仲田や、その友人たちが出せない。彼らの台詞を、不自然にならないよう補わなければならないし、場面だって、そうころころ変えられない。長台詞も、小説ならともかく、舞台の上であまり続くようだと不自然だし、客も飽きる。

 五十枚|綴りの原稿用紙と、図書館で借りてきた『友情』を交互に睨みながら、苦悶の表情で文章を捻り出すぼくの横で、遠子先輩はパイプ椅子に足を乗せてお行儀悪く座り、楽しそうに注文をつけてくる。

「大宮の秘めた想いと、杉子の大宮への恋心が、ちゃんとお客さんに伝わるように書いてね。野島と大宮と、杉子----この甘酸っぱい三角関係が、このお話の、一番|美味しいところなんだから」

「人を恋する喜びに夢中になる野島。そんな親友を控えめな態度で応援しながら、杉子に惹かれてゆく大宮----ああ、浪漫よね!」

「大宮は、わざと杉子に冷淡に接するのだけど、逆に杉子はそんな彼を、どんどん好きになっていってしまうのよ。----野島と大宮と、杉子、それに杉子の友達の武子の四人でトランプをするシーンで、動揺して赤くなったり、ぼぅっとしたりして、へまをしてしまう杉子は本当に可愛いわ」

「そう、まるで柚を絞ったポン酢をかけていただく湯豆腐のように、口の中とおなかが、ぽかぽかとあたたかくなるの。同時に、野島クンの心に共感して、ほのかに漂う酸っぱい柚の香りに、胸がキュンと締めつけられるのよ」

「野島と大宮の友情も、たっぷりこってりお願いね。ななせちゃんも言ってたけど、外国へ向かう前、駅に見送りに来た野島に、杉子への気持ちを押し殺しながら『僕は君の幸福を祈っているよ』と告げるシーンは、感動的だわ。熱いお豆腐に、舌がピリッと火傷しそうになるような痛みがあるわ」

「大宮のモデルは、『白樺』の同人の、志賀直哉じゃないかと言う人もいるのよ。華族の出でありながら切りつめた生活を送らなければならなかった武者小路と、資産家の息子で学生生活を大いに楽しんでいた志賀、武者小路は運動が苦手で、志賀はスポーツ万能、育った環境も性格も近いようで異なる二人が、創作を通して、無二の親友になっていったの。二人は徒歩で、旅行へ出かけたりもしたのよ。おじいさんになってからも、ずうっと仲良しだったのよ」

 そんな調子で、武者小路と志賀の友情エピソードなんかを嬉しそうに語りながら、ぼくの書き損じの原稿を引き寄せ、指で端から千切って、ぱりぱり食べはじめる。

「うーん……ちょっと台詞が長すぎて、味がぼやけてるかしら? 会話はリズムが命よ。まな板に載せた大根を包丁で刻むように、大切な台詞はゆっくり落ちついたテンポで。コミカルなシーンは短く早いテンポで、包丁を動かしてゆくのよ。トントントーンって」

「あっ、ここ、とってもいい感じ。よく冷えたお豆腐が、喉をつるんとすべってゆくみたい。そう! 武者小路は、こんな感じよ」

「うぅ、このへん固ぁい。お豆腐の中に、焦げた海老の尻尾が入ってるぅぅぅ」

「わぁっ、ここ、ほかほかで美味しい〜。口の中で、はふはふしながら、飲み込む感じ。心葉くん、天才」

 落としたり、持ち上げたりしながら、ぴりぴり、ぱりぱり、ぼくの書いたシナリオを食べ続ける。

「どうして丸めて捨てたものを、わざわざ伸ばして食うんですか。腹下しますよ」

 そう言うと、窓から差し込む西日で蜂蜜色に染まった長い睫毛を、そっと上げ、口元をほころばせた。

「平気よ。心葉くんのおやつ[#「おやつ」に傍点]に鍛えられてるから、わたしのおなかは、ちょっとやそっとじゃへこたれないわ。それに、これはこれで、とっても素朴で美味しいわ。パン屋さんでパンの耳をもらってきて食べてるような感じ? たま〜に、端っこに苺やブルーベリーのジャムがついていたりして、すごく得した気分になるのっ」

�食べ物�に関しては、本当に貪欲な人だと呆れた。けれど、ぐちゃぐちゃの原稿用紙をせっせと伸ばして、細い指で千切っては、嬉しそうに口に運ぶ様子を見ていると、胸の奥が妙にくすぐったくなる。

「ねぇ、芥川くんはその後どう?」口に紙をくわえて、遠子先輩が尋ねる。

「特に変わったところはありません。普段通りです」

 一緒に帰ったあの日以来、彼と込み入った話はしていない。相手のことを知ろうとすれば、自分のことも隠しておけなくなる。過去になにがあったのか、誰を好きだったのか、その子はどうなったのか。そのことを、ぼくは誰にも知られたくなかった。

 更科さんには、うまく聞き出せなかったと謝っておいた。休み時間に人気のない廊下で、他人の彼女と二人きりで会うのは、なにかうしろめたい気がした。

 更科さんは芥川くんが文化祭で劇に出ると知り、ショックを受けているようだった。

「一詩くんが、劇に出るって言ったの? 本当に?」

 か細い声でつぶやき、泣きそうな目でうつむいてしまった。

 シナリオをもぐもぐ食べながら、遠子先輩がつぶやく。

「心葉くんは友達が少ないんだから。芥川くんのこと、大事にしなきゃダメよ」

 その言葉に、胸の奥が、シンと寒くなる。

 友達なのかな? ぼくらは?

 確かに教室でノートを見せ合ったり、話をしたりはするけど……野島と大宮のように未来を語り合ったり、色恋の相談をしたり、泣きたいほどの友情を感じたり、出来るかぎりの力で相手を助けたいと願ったこともない。

 野島と大宮の絆は、美しく強い。だけど、心を分け合った親友同士でなければ、大宮は杉子を好きになってあれほど苦しむことはなかったし、野島も大宮の裏切りに傷つかずにすんだんじゃないか。

 そう、他人に期待したり、過剰に心を寄せたりしなければ、失うことも絶望することもなかったのに……。

 だからぼくは、野島のように信じたり、恋したりはしない。

「芥川くんが出演を承諾してくれて、本当に良かったわ……ねぇ、劇が成功して、部員が増えるといいわね?」

 黄昏の光の中で、パイプ椅子で膝を抱えた遠子先輩が、目を細めて、のんびり微笑む。

「そしたら、つまみ食いなんかできなくなりますよ」

「あっ、やだ。そうね。けど部員はいっぱい欲しいし……だって文芸部の存続が----けどけど、おやつ[#「おやつ」に傍点]は食べたいし----あうぅ、困ったわ」

 子どもみたいに眉を下げ、半べそで真剣に葛藤する様子に、少しだけなごんだ。

 

 この週は、土日も家で執筆を続けた。

 日曜の昼時、自分の部屋で、原稿用紙のマスを夢中で埋めていたら、ノックの音がして、お母さんが入ってきた。

「お兄ちゃん。そろそろお昼にするから下りてきて。あら?」

 机に積み重ねた原稿用紙の束を見て、目を見張る。ぼくは慌てて言い訳した。

「宿題のレポートを書いてたんだ。難しくて、何枚も無駄にしちゃったよ」

 お母さんが優しく微笑む。

「そう、大変ね。けど、スパゲティのびちゃうから、早く来てね」

 ドアが閉じ、一人になったあと、頬が熱くなっていることを自覚しないわけにいかなかった。ぼくの嘘に、お母さんは気づいただろうか?

 別に、文化祭の劇でシナリオを書くことになったと話してもよかったのだけど……。

 ぼくが高校で文芸部に所属していることを、家族は知っている。

 けどぼくがそれを打ち明けたのは入部して二ヶ月くらいあとで、毎日|三題噺を書かされていることは話さず、「人数が少ないから、大した活動はしてないよ。先輩と本の話をしてるだけだよ」と説明していた。

 家族に余計な心配をかけたくなかったから……。

 今から二年前、ぼくがまだ中学三年生のとき、初めて書いた小説を雑誌の新人賞に投稿したら、どういうわけか史上最年少で、大賞に選ばれてしまった。

 それから、ぼくの生活は一転した。謎の覆面美少女作家として大々的に売り出され、受賞作はベストセラーになり、井上ミウの名前は日本中に知れ渡った。

 けれど、それはぼくにとって、闇の底に真っ逆さまに突き落とされるような不運しかもたらさなかった。ぼくは大好きだった女の子を失い、突然息ができなくなる発作に苦しみ、不登校の引きこもりになり、家族にたくさん迷惑をかけた。

 今も、ぼくが休日に誰とも出かけず、友達から電話もかかってこないのを、お母さんは心配している。たまに哀しそうな目でぼくを見る。

 そんなときや、ふいに過去の記憶が胸に突き上げるとき、自分が情けなく無力な存在に思えて、喉が締めつけられる。

 どうしてこんなに弱いのだろう。いつまでも引きずり続けているのだろう。

 もうなにも壊したくないし、失いたくない。だから、二度と小説は書かないと決めていた。中学生のあのとき、小説を書こうと思ったのが間違いだったのだから。

 五十枚綴りの原稿用紙を閉じ、憂鬱な気持ちで階段を下りてゆくぼくの脳裏に、野島の台詞が浮かぶ。

『貴き、貴き、彼女よ。

 自分はあなたの夫に値する人間になります。

 どうかそれまで、他の人と結婚しないで下さい』

 ぼくも、野島のように夢中で恋をしたことがあった。けれど、その子にもう会えないのだ。

 

 月曜日の朝。文芸部の部室で、パソコンで打ち直してプリントアウトした完成原稿を渡すと、遠子先輩は顔をゆがめ、泣きださんばかりに叫んだ。

「いやぁぁぁぁっ、どうして、手書きじゃないのぉ! 真っ白な原稿用紙に、鉛筆で一文字一文字書きこんであるのが、手作りのごはんって感じで、美味しいのにぃ。わたしが直筆が好きなの知ってるくせに、ひどいっ、ひどいわ」

「原稿用紙に手書きで書いたシナリオなんて、読みづらくて仕方ないですよ。それに、遠子先輩が、食べちゃったらおしまいですし」

「うっ、そんなことないもん。うぅ……心葉くん、ワープロ使えたのね」

「必要に追られて覚えたんです。今時|常識でしょう。ブラインドタッチもできますよ」

「裏切り者」

 涙目で睨んだあと、「そうだわ!」と急に明るい顔になり両手を差し出す。

「手書きの初稿があるはずよ。それを出しなさい」

「今朝、資源ゴミの回収日だったんで、漫画と一緒にヒモでくくって集積所に出しちゃいました」

「ひど--------い。なんてことするの! 鬼、悪魔、先輩いじめ」

 めそめそする遠子先輩に、ぼくは無情に言った。

「じゃあ製本は、適当にお願いします。あ、これデータのコピーです」

 CDを渡して去ろうとしたとき、ふくれっつらの遠子先輩に袖口をつかまれた。

「待ちなさい心葉くん。この借りはしっかり返してもらうわ。これからきみに、重大な使命を与えるわ。わたしは寛大な先輩だから、それをやり遂げたら、シナリオのことは許してあげる」

 

 まったく、どこまで人をこき使うつもりなんだ……。

 昼休み。ぼくはすでに諦めの心境で、オーケストラ部を訪れた。

 中庭にそびえる広大な建物の中には、メインの大ホールの他に、いくつかの小ホールと小部屋があり、その最上階に、オーケストラ部の部長にして、女性|指揮者を務める三年生の姫倉麻貴----通称�姫�のアトリエはある。

「失礼します」

 扉を押して中へ入ると、光にあふれた部屋の中央で、セーラー服の上に作業用のエプロンをつけて腕まくりをした大柄な女性が、キャンバスに向かって絵筆を走らせていた。

 壁には水彩画やスケッチが飾られ、高そうなマホガニーの本棚には、豪華な装幀の文学全集が、きらびやかに並んでいる。

「いらっしゃい、心葉くん」

 麻貴先輩が、肉感的な唇を吊り上げ微笑む。ウェーブのかかった薄茶色の髪が、獅子のたてがみのように胸や背中にこぼれていて、光を受けて金色に輝いている。

「今日は遠子のお使い? まぁ、お茶でも飲んでゆっくりしていって」

 黒いスーツに身を包んだ長身の男性が、クロスをかけた小さなテーブルの上に、サンドイッチやフルーツや紅茶のカップを、洗練された動作で並べてゆく。

 彼は高見沢さんといって、麻貴先輩のお祖父さんの下で働いている人だ。麻貴先輩のお祖父さんは、学園の理事長をしている。麻貴先輩が�姫�と呼ばれ、学園で様々な特権を与えられているのは、そのためだ。

 ぼくは、正直、この先輩が苦手だった。それはぼくが草食動物系の人間で、彼女が肉食系だからだろう。油断すると、鋭い牙や爪で引き裂かれそうな気がするのだ。

「いただきます」

 勧められるまま紅茶を飲み、サンドイッチをつまむ。薄く切られたパンでサンドされたサーモンとキュウリのサンドイッチは、適度な塩気があり美味しかったけれど、目の前に怖い人がいるせいか、飲み込むのが辛い。

「ねぇ、遠子ってば最近、あたしの顔を見ると、頬をふくらませて走ってっちゃうのよ。嫌われてるのかしら、あたし」

 むしろ、遠子先輩のそんな反応を楽しんでいるような口調で、麻貴先輩が語る。

「麻貴先輩が、遠子先輩にヌードモデルになれって迫るからですよ」

「あら、だって一目惚れだったんですもの。あれだけの素材は滅多にいないわ。卒業までにはどうにか口説き落としたいわ。心葉くんも、遠子の裸体画、見たいでしょう?」

「興味ありません。遠子先輩程度の胸なら、自分のを鏡で見慣れてます」

「なら、あたしの裸なら見たい?」

 ぼくは紅茶を吹き出した。麻貴先輩がゆっくり微笑む。

「冗談よ」

「やめてください。心臓に悪すぎです」

「遠子には内緒よ。ますます嫌われちゃうから」

「そういう言動が、嫌われる原因だと思いますけど。それに、文芸部は部員が少ないとか、部室が狭いとか、存在感がないとか虐めるから」

「だって、遠子の怒った顔、可愛くて大好きなんですもの」

 ダメだ。この人は根本的に悔い改める気がない。さっさと用をすませて退散しよう。でないと、今にとって食われそうだ。

「そうやってあなたが煽ったせいで、遠子先輩が燃え上がって困ったことになってるんですよ、責任とってください」

 麻貴先輩はにやりとした。

「文化祭で劇をやるんですって? 役者は確保したみたいだけど、あの狭い部室じゃ立ち稽古もできないわね。照明やセットの手配も必要よね?」

 ぼくがなんのために派遣されたのか、とうにご存知のようだ。この人に下手な小細工は通用しない。

「ええ、なにしろうちはOBの数も少なくて、ツテもコネもなくて弱ってるんです。力を貸していただけませんか?」

 ぼくは制服のポケットから写真を数枚出し、テーブルに並べた。

 麻貴先輩が目を細める。

「前回あたしを脅したときよりは、マシな交渉ができるようになったようね」

 写真には、バレーのボールを受け損ねてスッ転んでいる体操着の遠子先輩や、プールサイドで、つった足を半べそで伸ばしているスク水の遠子先輩が写っている。写真部の男子に売りつけられたもので、いつか遠子先輩が暴走したとき、大人しくさせるのに役立つかもしれないと保管していたのだけど、まさかこんな風に使うハメになるとは。

 麻貴先輩が、遠子先輩の体の線をなぞる。指の動かし方がちょっとエロい。

「けど、まだ甘いかな」

「え」

「遠子の学園生活を激写した写真なら、これより可愛いのも際どいのも、何百枚も持ってるもの」

「な、何百枚って……」

「交渉に使うなら、もっとレアな写真を持って来なきゃ。それこそ遠子のヌードとか、プライベートな写真とか」

「それ、犯罪です」

 麻貴先輩はクスクス笑った。

「まぁ、いいわ。これはもらっておくわ。練習場所は空いているホールを使えばいいし、照明その他も、すべてあたしのほうで手配させてもらうわ」

「いいんですか?」

 つい疑いの視線を向けてしまう。この人のことだから裏があるんじゃ。

「ふふ、あたしも、遠子の舞台はぜひ見たいもの。武者小路|実篤をやるそうじゃない? 振り袖にほどき髪の遠子がコレクションに加わるのは、悪くないわ」

 遠子先輩が男役だということは、黙っていよう。

「よろしくお願いします。遠子先輩もきっと喜びますよ」

 神妙に頭を下げ、部屋をあとにしたのだった。

 

「でかしたわ。心葉くん。さすが、わたしの後輩ね! わたしはきみを信じていたわ」

 建物の外で待ちかまえていた遠子先輩は、ぼくの報告を聞くなり褒め称えた。

 まったく調子がいいんだから。自分が麻貴先輩に頼みごとをするのが嫌だから、ぼくを行かせたくせに。

「これで、問題はすべて解決ね。さっそく放課後から稽古をはじめるわよ!」

 

「うわぁ、このシナリオ、ほかほかです〜。ほら、ななせ先輩」

「顔に押しつけないでよ、竹田。わっ、でも本当に、あったか〜」

「ふふ、出来たてほやほやだもの」

 放課後。ぼくらは麻貴先輩が手配してくれた小ホールに集合した。赤い布を張った五十席のシートの前面が、ちょうど教壇ほどの高さの小さな半円状のステージになっていて、稽古をするのに申し分のない環境だ。プリントアウトしたばかりのシナリオがみんなに行き渡り、読み合わせがはじまる。

『僕も一ぺん従妹の処で写真を見たかも知れない。その人ならなかなか綺麗な人だった』

 意外なことに芥川くんは、大宮役をそつなく演じていた。

 ストイックさと誠実さを感じさせる低い声が、役のイメージにあっているせいもあるだろうけど、古風な言い回しの台詞を、つかえることなく淡々と読み上げてゆく。

 一方、主役の遠子先輩は、

『なかなかではまだ不服だね』

 う--------ん。遠子先輩、声を作りすぎじゃあ……。意識して男っぽくしているらしいけど、まるで薔薇を口にくわえた気障男みたいに、すかした声だ。

 おまけに動作がいちいち大袈裟で、一言しゃべるごとに、両手を広げたり、上げたり、のけぞったり、頭を抱えて呻いたりする。芥川くんの抑えた演技と比べると、アンバランスすぎて、ものすごい違和感が……。

『世界には嵐が吹きまくっている。思想の嵐が。そのまっただ中に一本の大樹として自分が立ち上って、一歩もその嵐に自分を譲らない。その力を与えてくれるのは、杉子だ。杉子が自分を信じてくれることだ』

 嵐に揺れる木のように、体を左右にゆさゆさ揺らして身悶えると、今度は一転して、両手を胸の前で組み、睫毛をパチパチさせ、媚び媚びの甘い声で言う。

『あ〜、愛しい野島さま、わたしはあなたを信じています。あなたは勝利を得る方です。杉子を野島さまの妻にしてくださいませ〜〜〜〜〜』

「ストーップ! ストーップ!」

 ノリノリで演じる遠子先輩の前に、ぼくはたまらず飛び出した。

「なんだい、早川くん。僕と杉子さんの愛の語らいを邪魔しないでくれ」

「誰が早川くんですか! いくら野島の妄想シーンでも、『くださいませ〜〜〜〜』とか語尾を伸ばすの、気持ち悪いからやめてください。台詞に波線つけた覚えはありません。動作も大袈裟すぎです」

「つい役になりきりすぎちやって、口と体が勝手に動いちゃったのよ。ここまで別人になりきっちゃうなんて、わたしって、女優の才能があるのかしら」

「今のは、ただの危ない人でしたよ」

「ええええっ、恋する青年の切なさと初々しさを、お茶目に演じたつもりだったのに」

「切なすぎて茫然です。余計なアクションを入れないで、もっと普通に演じてください」

「それじゃあ、野島クンの気持ちがお客さんに伝わらな〜い」

「伝わりすぎて、確実にドン引きです!」

 言い合うぼくと遠子先輩を、琴吹さんが目を丸くして見ている。芥川くんも意外そうな顔をしている。いつもの調子で、遠子先輩に突っ込みを入れまくってしまったことに気づき、ぼくはハッとした。

「と、とにかく、ちゃんとシナリオ通りにやってください」

 遠子先輩が「はぁい」とあてにならない返事をし、練習が再開する。マズいなぁ。教室では、人当たりのいい大人しいキャラで通しているのに。

『杉子さん、杉子さん。あの雲を御覧なさい。誰かの顔に、似ているでしょ』

『誰の顔でしょう』

 竹田さんも上手い。普段の竹田さんと正反対の凜とした女性の役なのに、ちゃんとそれらしく聞こえる。

 琴吹さんは緊張しているのか演技が固い。台詞を口にするとき恥ずかしそうな顔をする。意外と照れ屋なのかもしれない。目が合うと頬を赤らめ、慌ててそっぽを向く。

「心葉くん。次は心葉くんの台詞よ」

「あ、はい『あはははは。武子さんに逢っては敵いませんね』」

「もぉ、心葉くん、棒読みすぎ」

「井上、笑い方、白々しい」

「心葉せんぱ〜い、もうちょっと感情込めてくださいよぉ」

「……(無言)」

 ぼくの早川は、不評だった。

 

 練習終了後、竹田さんがにこにこしながら、遠子先輩のほうへ近づいていった。

「遠子せんぱ〜い、今日、駅前のショップがオープンするんですよ。チラシもらったんですけど、文房具とか、安くて可愛いんです。これから寄ってみません?」

「まぁ、いいわね。ななせちゃんもどう?」

「あたしは別に……でも、遠子先輩が行かれるなら」

「わぁい、ななせ先輩も、まいりましょ〜」

 はじめは不安だったけど、琴吹さんと竹田さんは、それなりにうまくやっているようだ。女の子三人がいなくなってしまったあと、ぼくも芥川くんとホールを出た。

 いつかと同じように赤い夕日を浴びながら、芥川くんは自転車を押し、ぼくは隣を並んで歩く。

「はぁー、演技って難しいや」

「気にすることはない。プロの役者ではないのだから、うまくできなくて当然だ」

「けど芥川くんは上手だったよ。声も出ていたし、驚いたよ」

「そうか? シナリオの通りに読んでいるだけなんだが」

「もとの声もいいしね。やっぱり大宮の役は、芥川くんにぴったりだね」

「……そうかもしれないな」

 あれ? なんだか暗い。褒めたつもりだったのだけど、マズいことを言ってしまったのだろうか。

 と、そのとき、芥川くんの目が驚きに見開かれた。

「!」

 ゆっくりと暗くなってゆく校庭の先----。赤く黒く浮かび上がる校門の脇に、古い桜の木が生えている。暗く染まった葉と曲がりくねった枝が寒々と広がるその木の後ろ側に、半ば身を潜めるようにして、更科さんが立っていた。

 憂いを含んだ瞳に涙をいっぱいにじませて、まるで真冬の雪の中にいるように手足や唇を震わせている。

 更科さんはいきなり走ってくると、芥川くんの胸にすがりつき、切れ切れに訴えた。

「一詩くん……わたし……どうしたらいいの……たすけて……一詩くん」

 背筋を冷たいものがつらぬく。----ぼくは見てしまった。芥川くんの上着を握りしめる更科さんの指先が、赤い液体で濡れているのを。

 血? いや、夕日のせい?

 泣きじゃくる更科さんの体を隠すように、芥川くんが抱きしめる。うつむいた彼の横顔は、苦しそうにゆがんでいた。

 

 翌朝、通学路で芥川くんを見かけた。

 

 芥川くんは自転車を止め、ポストに白い長方形の封筒を投函していた。

 張りつめた眼差しを見た瞬間、昨日のことを思い出した。

 声をかけようか迷っていると、芥川くんが顔をこちらへ向け、目があった。

「おはよう」

 静かに笑ってみせると、一瞬ためらうような表情をしたあと、同じように微笑んだ。

「おはよう、井上」

 胸の奥でざわめく不安を押し隠し、ぼくは彼に近づいた。

「手紙、この前も出してたね」

「家族に頼まれたんだ。保険の手続きとか、そんなものらしい」

 並んで歩きながら、当たり障りのない会話を続ける。

 校門を通り過ぎたところで、ふいに、芥川くんが低い声でつぶやいた。

「昨日は、すまなかった」

 ドキッとした。----あのあと、ぼくは芥川くんと彼女を残して先に帰ったので、二人がどんな言葉を交わしたのかを知らない。彼女の涙の理由がなんだったのかも。細い指先で光っていたものの正体も……。

「あの人、芥川くんの彼女なの?」

 更科さんのことを知らないふりをして尋ねると、眉根を寄せ辛そうに答えた。

「……今は、違う」

「なら、昔はつきあってたんだ」

「……ああ」

 あれ? 更科さんは今もつきあっているように話していた……よね。

「すまない。これ以上は、向こうの問題に関わることなので、話せない」

 芥川くんはますます眉間に皺を寄せ、口をぎゅっと結んだ。なんだかぼくの胸まで苦しくなってしまった。

「ううん。ぼくこそゴメン。もう訊かないよ。それより、英語の宿題でさ……」

 普通の口調で、話題を変えた。

 

 放課後は、ホールで劇の練習をした。

 もう訊かないと言ったけれど、芥川くんと更科さんの間になにがあったのか、ぼくはずっと気になっていた。

 芥川くんはステージの上で、危なげなく大宮を演じている。ちょうど遠子先輩の野島と、恋愛|談義をするシーンだ。

『人間に恋と言う特別のものが与えられている以上、それを馬鹿にする権利は我々にはない』

 心の中で、あれこれ考える。もしかしたら芥川くんは別れたつもりでいるけど、彼女のほうはそうじゃないのかもしれない。芥川くんには他に好きな人がいるのかも。

『ともかく日本人は恋を軽蔑しすぎている。仲田ではないが、恋する男に娘をやるよりは見ず知らずの男に娘をやることを安心と心得ている』

 更科さんの指が赤く染まっているように見えたのも、本当にぼくの気のせいだったのだろうか?

「すみませーん、あたし、ちょっとおトイレに行ってきま〜す」

 竹田さんが、シートの間をぱたぱたと駆けてゆき、休憩になった。

 遠子先輩が、笑顔で芥川くんに近づく。

「ちょっといいかしら? 作品を酷評された野島を、大宮が慰めるシーンなんだけれど、『君は前に復讐を受けているのだ。君ほどよわらなくっていい人間はないと思う』って台詞は、もっと間をとってお客さんに印象づけたほうがいいと思うの。『前』っていうのは未来のことよね? 『未来に復讐されている』----つまり、『きみはこの先、必ず成功する人間だから、その代償として、今の不運を負わされているのだ』と、大宮は野島を祝福しているのよ。ここは、大宮の人柄や、野島への友情が感じられるとっても美味しいシーンだから、あっさり流さないで、もっとねっとりいきましょう? わたしも全身で感動を表現するわ。そう、例えば----」

 どうやら演技のプランをぶちあげているようで、芥川くんは真面目にうなずいている。いつも、遠子先輩の話を適当に聞き流しているぼくとは大違いだ。

 シートに腰かけて、ちらちら見ていたら、いつの間にか隣に琴吹さんが座っていて、ぼそっと言った。

「ねぇ……芥川って、遠子先輩のこと、好きなのかな」

「へ? そ、そう?」

 芥川くんが遠子先輩を? 有り得ない。それに、どっちかといえば、遠子先輩のほうが芥川くんのことをかまってないか? いや、いいんだけど、別に……。

 すると琴吹さんはずいっと身を乗り出し、唇を尖らせ、不満そうに言った。

「だって芥川が劇に出るなんておかしいもの。去年の文化祭で、芥川のクラスで劇をやったとき、女子はみんな芥川に主役を演らせたがってたんだよ! けど芥川は、芝居なんてできないから断ったって、去年芥川と同じクラスだった森ちゃんが嘆いてたもの」

「その劇、どんな内容だったの?」

「『白鳥の湖』だよ。芥川はジークフリート」

「って、それ、単に役が嫌だったんじゃ」

 高校生にもなって王子様のコスプレなんて、したくない。

「でも相手役のオデットは、クラスで一番美人の、更科って子だったんだよ」

 ぼくはドキッとした。

 更科さんだって? 二人はクラスメイトだったのか? 更科さんが芥川くんが劇に出ると聞いて暗い顔をしていたのは、そういうわけだったのか。

 琴吹さんが声をひそめて、ぼそぼそ続ける。

「あの男子に人気の更科の相手役を蹴っておきながら、文芸部の劇には出るなんてヘンだよ。けど、芥川が遠子先輩に気があるなら、納得かなって」

 そう言って、上目遣いにちらりとぼくを見る。

 えーと……芥川くんが出演を承諾したのは、遠子先輩に恩義があるからなんだけど……説明するわけにいかないし。

 すると琴吹さんは、ふいに弱気な目になり言った。

「でも、遠子先輩、彼氏いるんだっけ。じゃあ、望みないか」

 ぼくは耳を疑った。

「なにそれ?」

 遠子先輩に彼氏!? あの人に、まとな彼氏ができるのか!? どんな変わり者だ!

 琴吹さんが唇を噛み、視線を横にそらす。

「ほ……本当だよ。遠子先輩が教えてくれたんだよ。彼氏は白いマフラーが似合う素敵な人だって。北海道で熊狩りをしているから、なかなか会えなくて寂しいけど、この間も、彼氏が釣った荒巻鮭が送られてきて、とっても美味しかったって。きっと遠子先輩は、学園の男なんか眼中にないんだよ」

 白いマフラー?

 熊狩り?

 鮭?

 三題噺風に単語を並べたとき、いつか遠子先輩が、新×の母に運勢を見てもらったら、恋愛|大殺界と言われたと、シリアスに話していたことを思い出した。

 確か、恋愛大殺界が明けた夏に、鮭をくわえた熊の前で、白いマフラーを巻いた男性と運命の恋に落ちるとかなんとか……。

 頭の中に、鮭をくわえた熊に向かって槍を投げる、白いマフラーの青年が浮かび、目眩がし、へたり込みそうになった。それは遠子先輩の見栄だよ、琴吹さん。

 琴吹さんが焦っている感じの早口で、言葉を続ける。

「だからその、あ、芥川、フラレちゃうかもねっ。遠子先輩、彼氏がいるし。好きになってもダメだよね。可哀想に、その、芥川がっ」

 その声を、ぼくはがっくり肩を落とし、沈痛な面持ちで聞いていたのだった。

 

[#中央揃え]◇    ◇    ◇

 

[#ここから太字]

 文化祭で、文芸部の劇に出ることになった。

 演目は武者小路実篇の『友情』。きみは読んだことがあるだろうか?

 親友が恋した女性を好きになり、最後は親友から彼女を奪う大宮という男が、オレの役だ。台本を読みながら、オレは過去の自分と現在の自分を、この男に重ねずにはいられなかった。

 オレも、オレを信頼してくれた人を裏切った最低の人間だから。

 どれほど後悔しても、あの日の過ちを消し去ることは出来ない。

 教室が血の海に染まり、胸に彫刻刀を刺した長い髪の少女が、体から血を流して倒れてゆく悪夢を、幾夜見ただろう。何故、約束を破ったのかと責める彼女の声を幾度聞いただろう。そのたびに跳ね起き、こぼれる汗が冷えてゆく感触に身震いしながら、懺悔を繰り返してきた。

 オレの浅はかな選択が最悪の結果を招き、人を傷つけてしまったあの日がら、誠実な人間であろうと必死に取り繕ってきたが、結局オレは同じ過ちを、今も繰り返している。

 賢く、注意深く、最善の選択をしてきたつもりでいたのに、オレに信頼を寄せてくれた人たちをまたも狂わせ、痛みと哀しみを与えてしまった。

 なにが間違っていたのだろう。

 一体、いつから? どこで?

 こんなに愚かなオレには、きみを守る資格はないのかもしれない。六年前のあのときも、オレは確かに友を守ろうとしていた。それが、友を裏切る行為であったとしても、そうすることが、彼女を救うことになると信じたのだ。けれど、それは無知ゆえの誤りだった。

 そして今もオレは、自分が過ちを犯しているのではないかという不安が、頭から離れない。きみの望みを叶えることが、オレは恐ろしい。それが正しいという保証は、どこにもないのだから。

 けれど、オレが手をはなした瞬間、きみがどうなってしまうのか。それを思うと、たとえきみに罵られ、憎まれても、きみのもとへ行き、きみの願いを聞き届けることが、正しい選択なのではないかという迷いが、依然として胸の奥に燻っている。

 いいや、いけない。それは、不誠実なことだ。

 この手紙を、きみが破かずに読んでくれることを願う。

[#ここまで太字]

 

[#中央揃え]◇    ◇    ◇

 

 二週間ほど過ぎた。

 あれから、芥川くんに変わった様子は特になく、きっと更科さんの問題は解決したのだろうと思っていた。

 この日の放課後も、みんなで劇の稽古をした。

『本当に恋したものは、失恋はするものじゃないと言っているよ。それは随分淋しい、耐えられないほど淋しいものらしいよ』

 芥川くんはやはりいい演技をする。淡々と語る言葉の端々に、痛みや切なさがにじむように感じられるのは、彼が今、辛い恋をしているせいなのだろうか。

 一方、遠子先輩の野島も、相変わらずハイテンションだった。台詞はすでに頭に入っているようで、シナリオは見ず、怪しい外国人のようなオーバーアクションで熱演する。

『僕は恋は仲田の言うように布の上に画をかくのとはちがうと思う。それはあまり相手を見なさすぎる』

 台詞の合間に、「くぅぅぅぅ」とか「うぬぅぅぅ」とか、力むのはやめてほしい。

 杉子の家で、ピンポンを打ち合うシーンでも、遠子先輩の言動は怪しかった。

 ピンポンの場面は二|箇所あり、杉子の家へ遊びに行った野島が、杉子に手加減されながら、楽しく打ち合うもの。もうひとつが、杉子の家で兄の友人たちが集まってピンポン大会をした際、次々相手を破り喝采を浴びる杉子を、大宮が容赦のないプレイでやりこめるというもので、この二つは、野島と大宮を対比させる重要なシーンだ。

 本当に玉を打ち合うわけにはいかないので、本番では打つフリだけし、効果音を流すことになっている。

 遠子先輩がラケットを振り回しながら、『あははは』と陽気な高笑いをする。

『僕は今、杉子とピンポンをしているのだ。杉子は僕より遥かにピンポンが上手だった。しかし、僕を翻弄するようなことはしなかった。むしろ僕をいたわり、僕が返しやすいすなおな玉をよこしてくれた。僕はそこに杉子の性質を感じないわけにはゆかなかった』

 ラケットを高々と振り上げ、「おおっ!」と叫ぶ。

『どこにこんなに無垢な美しい清い、思いやりのある、愛らしい女がいるか。神は自分にこの女を与えようとしているのだ。さもなければあまりにも惨酷だ』

 遠子先輩の熱演に、杉子役の琴吹さんはちょっぴり引いている。

『お上手ですわ、野島さま』

 大正|浪漫あふれる青春ストーリーのはずが、遠子先輩が口を開くたびにコメディになってゆく。せっかくの名シーンもお笑い番組のコントのようで、本番が激しく不安だ。

 休憩時間になると、琴吹さんがそわそわしながらピンク色のお弁当箱の蓋を開けて、遠子先輩に差し出した。

「あのっ、あたし、クッキー焼いてきたんです。みんなでどうぞ」

 可愛らしい花|模様の紙ナプキンを敷いたお弁当箱の中に、アーモンドやブルーベリーのジャムがトッピングされた可愛らしいクッキーが詰まっている。

「うわぁ、ななせ先輩のお手製ですかぁ。すごーい、美味しそ〜」

「ありがとう、ななせちゃん。じゃあ、みんなでいただきましょうか」

 遠子先輩は、文字以外のものを食べても味がわからない。ぼくらが紙を食べるのと同じようになんの味もしないのだと、前に話していた。マズいんじゃないか?

 焦るぼくの目の前で、遠子先輩は真っ先にお弁当箱に手をのばし、アーモンドを載せた丸いクッキーをつまんで、口に入れた。

 さくさくと噛みしめる遠子先輩の顔に、晴れやかな笑みが広がる。

「美味し〜。アーモンドの香ばしさとバニラの香りが口の中で、絶妙に溶けあって、軽やかなハーモニーを奏でる感じ」

「やだっ、大袈裟ですよ、遠子先輩」

 琴吹さんが、火がついたように赤くなる。

「あーっ、でも本当に美味しいですよ、ななせ先輩。甘さ控えめで、これなら男の人が食べても、全然おっけーですよね」

 竹田さんも、クッキーを囓りながらにこにこする。その言葉に琴吹さんがますます頬を火照らせ、声を上ずらせる。

「い、今、その、ダイエットしてるから。そんでお砂糖減らしてみただけっ」

 そう言って、ちらりとぼくのほうを見る。

 それまで、ぼくはずっと遠子先輩のことを気にしていたのだ。

「あ、いただきます」

 慌てて、葉っぱの形のクッキーをつまんで口に入れると、手作りっぽい固めの食感とともに、思いがけず酸っぱい味が舌の上に広がった。これはレモンだろうか?

「うん、美味しいよ、琴吹さん」

 琴吹さんが視線をそらし、口ごもる。

「そ、そう……? 井上の好みにあわせたわけじゃないんだけど」

 遠子先輩はクッキーを次々口へ運び、鳥がさえずるように語りまくっている。

「これはブルーベリーね! ジャムがアクセントになっていて美味し〜。舌の上で甘いジャムがとろりととろける感じ! えーと、こっちの茶色いのは何かしら?」

「ココアとナッツです」

「そう! ココア! この味はまさにココアね。ちょっぴり苦みがあって、そこにカリッとしたナッツの甘みが加わって、最高だわ」

「遠子先輩って、お菓子の評論家さんみたいですね〜」

「ええ。わたし、甘いものが大好きなの!」

 遠子先輩が、あんまりぽいぽいクッキーを口に放り込み、いちいち感想を口にするので、ぼくははらはらしていた。

 そのへんでやめといたほうがいいんじゃ……。調子に乗るとボロが出るから。それに味のしないものをそんなに詰め込んで、おなかは大丈夫なのか? ぼくらが紙を食べたら間違いなく腹をくだす。その逆のことが遠子先輩にも起こるんじゃ。

「わぁ、この葉っぱの形のクッキーも、とっても甘くて美味し〜」

「え、甘いですか?」琴吹さんが不思議そうな顔をする。「それ、レモンクッキーで、かなり酸っぱめに配合してるんですけど」

 あぁ、やっちゃったよ。

 遠子先輩が、慌てて言い訳する。

「や、やだ、そうね。たまたまここだけ甘かったみたい。うん、酸っぱくて、でも、ほんのり甘くて、青春の味」

 どうにか切り抜けたようでホッとしたときだ。

 芥川くんがクッキーの入ったお弁当箱を、険しい目で見おろしているのに気づいた。

 まるで見たくないものを見るような、そんな苦しげな表情で----。

 胸が、ひやりとした。

「芥川くん、どうかした?」

 尋ねると衝撃を受けたような顔をし、「いや、なんでもない」と複雑な笑みを浮かべ、ココア味のクッキーをつまんで、口に入れた。

「甘い物はあまり得意ではないんだが……。これならオレでも食べられるな。いい味だ」

 今、暗い顔をしていたのは、甘いお菓子が苦手だったからなのだろうか? それだけではないような気がして、胸の奥がざわざわと揺れた。

 芥川くんが、またクッキーに手を伸ばす。次を食べるとまた次----穏やかな顔で淡々と食べ続ける。その姿に、さらに不安がかき立てられる。まるで、食べたくないものを無理やり食べているみたいに思えて。

 一方、遠子先輩も、陽気な顔でクッキーを口に運んでいる。

 芥川くんと遠子先輩--─二人とも、本当に美味しいと思って食べているのだろうか?

 少なくとも遠子先輩の舌は、どんな甘さも感じてはいない。感じることができない。

 最後に一枚残った葉っぱの形のレモンクッキーに、遠子先輩の手が伸びたとき、ぼくはとっさに横から手を出し、遠子先輩の腕をつかんでいた。

「遠子先輩は、たくさん食べたでしょう。これは、ぼくがもらいます」

 遠子先輩が目を見張る。

 ぼくは最後の一枚をつまみ、口に入れた。

 芥川くんと竹田さんが、驚きの表情でぼくを見る。

 琴吹さんは、ぼくがクッキーを飲み込む様子を、真っ赤な顔で凝視していた。

 ステージに、沈黙が満ちる。

「あ、えっと……そのっ! 琴吹さんのクッキーが、すごく美味しかったから!」

 我に返って慌てて弁明すると、琴吹さんが目をむいた。

「な、なに言ってんの、バカっ、井上なんかにお世辞言われても、嬉しくないんだから」

「あー、ななせ先輩、照れてます〜」

「るっさぁい、竹田」

 琴吹さんが真っ赤な顔で竹田さんを睨む。竹田さんはくすくす笑っている。

 ぼくも頬が熱い。あぁ一体なにやってんだ、ぼくは。

「えっと、練習しましょう! 練習!」

 声をはりあげたとき、芥川くんのズボンのポケットが、震えた。

「!」

 芥川くんがハッとし、ポケットを見おろす。携帯電話を抜き取り、画面を確認すると、さらに表情をこわばらせた。

「すみません。用ができたので、早退させてください」

 そう言って頭を下げ、鞄を肩にかけて、出て行ってしまった。

「どうしたのかしら?」

 遠子先輩や琴吹さんたちが、不可解そうな顔をする。ぼくも電話の相手が誰なのか気になった。もしかして、更科さん?

 けれどすぐに稽古が再開し、ぼくは芥川くんの代わりに大宮を演じることになった。

 大宮と杉子が言葉を交わすシーンで、琴吹さんは何度もつっかえて、

「やだ、井上超|下手。やりにくい」

 と、頬を赤くして文句を言っていた。

 

 夕方、稽古が終わると、遠子先輩は、ニュース番組のグルメコーナーを録画し忘れたとかで、慌てて飛び出していった。

 竹田さんも「また明日です〜」と手を振りながら、にぎやかに去ってゆき、ぼくと琴吹さんの二人きりになった。

 鞄にシナリオやノートをつめていると、すっかり支度をすませて、所在なさげに立っていた琴吹さんと目があった。

「あれ? 琴吹さん、帰らないの?」

「帰るよ」

 つっけんどんに言い、急に恥ずかしそうに視線をそらす。

「あのさ……クッキー、また焼いてこよっか?」

「えっ?」

「井上、食べ足りないみたいだったから」

「うん。とっても美味しかったけど。あれ手間がかかるでしょう? 琴吹さんが大変なんじゃないかな」

「そ、そうでもないよ。あたし、結構、料理とか好きなんだ。柄じゃないって思われてるかもしれないけど。それに、遠子先輩も気に入ってくれたみたいだからさ」

「えーと……」

 ほら、遠子先輩。味のしないクッキーを、美味しいふりしてぱくぱく食べるから、こういうことになるんだ。弱ったな、どうすればいいんだろう。自業自得と思って遠子先輩に、味無しクッキーを食べてもらうか……。それとも……。

 迷っていると、琴吹さんは急につまらなそうな顔になり、言った。

「なんだ、やっぱりお世辞だったんだ」

「えっ、そんなことは」

「井上、そういうやつだもんね。誰にでも愛想良くてニコニコしていて、けど、おなかの中ではなに考えてんのかわかんないの」

 胸に氷柱を差し込まれたみたいに、ひやりとした。

「もう、いい。最低」

 ピンクのうさぎのマスコットがぶら下がった鞄を肩にかけ、唇をきゅっと噛むと、琴吹さんは足早に出て行ってしまった。

 また……怒らせちゃったな……。どうして琴吹さんとは、いつもこうなのだろう。

 最低という言葉が頭の中でリフレインし、やるせない気持ちになったときだ。

「あ〜ぁ、ななせ先輩、可哀想。心葉先輩って意外と鈍いですね」

 先に帰ったはずの竹田さんが、扉の向こうからひょっこり顔を出したので、ぼくは息が止まりそうになった。

 竹田さんはけろっとした顔で、ぼくのほうへ歩いてきた。

「忘れ物をとりにきたら、いい雰囲気だったので、お邪魔かと思って遠慮してたんです」

「それ、のぞき見してたってこと?」

「そうとも言いますね」

 へろっと笑い、シートのほうへ身をかがめ、置いてあったバインダーを手にとる。

「ななせ先輩って、かな〜〜〜〜り、あからさまで、本当にもう、むらっときて意地悪しちゃいたくなるくらい態度に出まくりだと思うんですけど、どうしてわからないんですかねぇ? ななせ先輩が、鞄にうさぎのマスコットさげてたの、見ませんでした?」

 ぼくは首を傾げた。

「うさぎ? 見たけど、なにそれ? あ、ひょっとして琴吹さんは芥川くんが好きなの?」

 遠子先輩と芥川くんのこと、ずいぶん気にしていたみたいだったので、もしかしたらと思って尋ねると、竹田さんは盛大に肩を落とし、溜め息をついた。

「これですもん。ななせ先輩に最低って言われちゃうわけですよ。まぁいいです。あとで思いきりおろおろしてください。そういう心葉先輩も萌えですから」

「え? え? もう少し詳しく説明して」

「ダメです、内緒です」

 竹田さんがバインダーを抱えてくすくす笑う。タンポポ色のプラスチックに、天使の羽が白く浮き上がっている。

 ぼくはハッとした。

「そのバインダー」

「えへっ、可愛いでしょう? 遠子先輩たちとショップに寄ったとき買ったんです。エンジェルシリーズって言って、女の子に人気なんですよぉ。他に、ピンクとか空色とかグリーンとかあるんです。ななせ先輩も、同じシリーズのノートで、グリーンのやつを買ったんですよ。おそろいです」

 知ってる。

 美羽もそのシリーズが好きで、空色のノートや、バインダーを持っていたから。

 過去が黒い波のように、胸の中にひたひたと押し寄せてくる。

 喉が締めつけられ息が苦しくなり、ぼくは頭に浮かぶ美羽の顔を、必死に意識の外へ追いやろうとした。

 動揺を表に出さず、どうにか言葉を絞り出す。

「けど、竹田さんが楽しそうでよかったよ。竹田さんは変わったね。前より生き生きしてる」

 竹田さんの顔から仮面がはがれ落ちるように、笑みが引き、空っぽになった。

 

「楽しくありませんよ」

 

 まるで別人のように理性的な目に見つめられ、辺りの空気が、急に冷たくなった。

「全然、楽しくなんかありません。楽しいフリをしているだけです。雰囲気、壊したくないですから」

 淡々とした声。

 ぼくの目の前に立っているのは、子犬のように無邪気な竹田さんではなく、もう一人の、人の心がわからない孤独な竹田|千愛だった。

 言葉を失い凍りつくぼくに、またあどけない表情に戻り、可愛らしく笑ってみせる。

「本音を隠して演技することなんて、特別なことじゃなくて誰でもやってることです。それに、心葉先輩や遠子先輩と一緒にいるのは、ヤじゃないですから」

 喉になにかつかえているような気持ちのまま、ぼくも無理矢理微笑む。

「そう、ならよかった」

 嘘ではない笑み。けれど本当でもない笑み。

 それは、ぼくにとっても竹田さんにとっても、必要な微笑みだった。二人の間に漂う空気を乱さないために。表向きの平穏を保つために。

「帰りましょっ! 心葉先輩」

「うん」

 鞄を肩にかけ電気を落とし、暗いホールをあとにする。同じ速さで歩きながら、竹田さんが楽しそうに、クラスであったことや親しい友達の話をする。

 ぼくも竹田さんの秘密なんて知らないフリをして、笑顔で相槌を打つ。

 心だけが、鉛のように冷たく重い。

 けれど、みんな、そうなのかもしれない。

 竹田さんだけじゃなくて、芥川くんも、琴吹さんも、遠子先輩も……。みんな楽しいフリをしているだけで、心の中はそうじゃないのかもしれない。社会や学校の中で危ういバランスを保つため、本当のことは口にせず、隠しているのかもしれない。

 最低、という声が耳の奥でこだまし、胸が擦れるような痛みを覚える。

 誰にでも、にこにこ、愛想良く、近づきすぎず、離れすぎず、適度な距離を保って----ぼくはずっとそうしてきた。もう、大事なものを失うことに耐えられなかったから。傷つくのも傷つけるのも嫌だったから。

 ぼくの時間は、今、とても穏やかに流れている。ぬるく切なく、凡庸で平和なこの時間を、失いたくないと思う。

 だからきっと、ぼくも竹田さんも、嘘をつき続けるのだろう。

 建物の外は、世界の終末のような朱色に染まっていた。

 校舎の横を通りかかったときだ。

 竹田さんが、いきなりぼくの袖を引いた。

「あれ、芥川先輩じゃ」

 校舎の裏手の壁に、細長い影が三つ浮かんでいる。

 どす黒い夕日を浴びて、影がゆらゆら揺れている。ひとつは腕を振り上げ、残る二つの影は、震えるように寄り添っている。

 芥川くんと、更科さん----それに、ぼくの知らない男子生徒の三人が、深刻な様子で話している。

 更科さんは、泣きそうな顔で震えている。そんな彼女を庇うようにして立つ芥川くんを、体格のいい男子生徒が、ギラギラした眼差しで睨みつけ、激しい口調で責め立てているようだった。芥川くんは苦しそうに眉根を寄せ、相手を見つめている。硬く結んだ唇を時折、小さく動かす。

「なにか、ヤバげな雰囲気ですよ」

 竹田さんが吐息のような声でささやいたとき、男子生徒が、芥川くんの腹部を突き上げるように、こぶしを叩き込んだ。

 芥川くんの体が二つに折れ、足がよろめく。

 更科さんが両手を口にあて、か細い悲鳴をあげる。

 ぼくと竹田さんも息をのんだ。

 彼はそのまま芥川くんの腹部を連打し、胸に蹴りを入れた。芥川くんはよろめきながらも足を踏みしめ、立っている。更科さんが飛び出そうとするのを、手を伸ばして制止し、また殴られ、それでも立ち続ける。

 どうしよう、先生を呼んできたほうがいいんじゃ。けれど、足がすくんで動かない。芥川くんから目をそらすことができない。

 更科さんが、芥川くんの背中にすがりつく。芥川くんは更科さんをそっと押しやると、草の上にゆっくりと膝をつき、そのまま頭を下げた。

 暗く燃える夕日の中、草に頭をすりつけて土下座する芥川くんの姿は、磔にされたキリストのように見えた。

 残照に浮かび上がる、黒い制服の、少年。苦しみをその身に受ける者。殉教者----。

 手のひらが汗ばみ、口の中が乾いてゆく。

 見てはいけないものを目のあたりにしているという意識に、頭がずきずきする。

 男子生徒が、悔しそうに顔をゆがめた。芥川くんの肩を強く蹴ると、なにか叫んで、去っていった。

 更科さんが崩れるように膝をつき、芥川くんの背中に顔をうずめ、すすり泣く。

 夕日が落ち、淡く冷たい闇が二人を隠すまで、芥川くんは草に額をつけたまま動かなかった。

 ぼくらはただ息を止め、その痛みに満ちた、絵空事のような光景を見つめていた。

[#改ページ]


最后编辑于:2015-05-06 19:42

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