【荒漠甘泉】2015/05/08

发表于:2015-05-08 12:47 [只看楼主] [划词开启]

点击查看大图"Walking in the midst of the fire." (Daniel 3:25)

“在火中游行”(但以理书3:25)

……火の中を歩いている……。   ダニエル三 25

The fire did not arrest their motion; they walked in the midst of it. It was one of the streets through which they moved to their destiny. The comfort of Christ's revelation is not that it teaches emancipation from sorrow, but emancipation through sorrow.

火没有阻止他们的行动,他们却在火中游行。在那里,他们看到神的大能神迹。基督显现的安慰并不是教他们避免患难而得到拯救,却是教他们通过患难而得到拯救。

シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人が炉の中に放り込まれたとき、炎も彼らの動きを止めることはできませんでした。「火の中を歩いている」彼らの姿が目撃されたのですから。炎は、彼らが目的地へとたどり着くまでに通過する通りの一つのようなものでした。キリストが悲しみから自由になるとは教えられたことによって、わたしたちは慰めを得たのです。


O my God, teach me, when the shadows have gathered, that I am only in a tunnel. It is enough for me to know that it will be all right some day.

哦,我的神啊,当阴影向我集结的时候,求你教导我知道,我只是暂时在隧道中,不久就会重见天日的。

愛する神さま、闇がわたしたちを取り囲むときには、トンネルの中を歩いているだけなのだと教えてください。そうすれば、やがてすべてがうまく行く日が来ると知るだけで、わたしたちは満たされるのですから。


They tell me that I shall stand upon the peaks of Olivet, the heights of resurrection glory. But I want more, O my Father; I want Calvary to lead up to it. I want to know that the shadows of this world are the shades of an avenue--the avenue to the house of my Father. Tell me I am only forced to climb because Thy house is on the hill! I shall receive no hurt from sorrow if I shall walk in the midst of the fire. --George Matheson.

他们告诉我,有一天我将站在复活荣耀的高地橄榄山顶上。但我还要更多,哦,我的父啊,我要你把我一直待到橄榄山的各各他。我要知道今世的患难就是一条大路。这条大路是通往我父家的。告诉我,我是被迫攀登的,因为你的家是在山上。我若能在火中游行, 那么患难绝不会使我受到创伤。

いつの日かオリブ山の頂上に立ち、栄光に満ちた復活を経験するのだと、わたしは教えられてきました。しかし天のお父様、わたしはさらに上のカルバリまで行きたいのです。暗い影に出くわしても、それはあなたの天の家へと通じる道を覆う影であると知りたいのです。わたしがその山を登らなくてはいけないのは、あなたの家がそこにあるからだと教えてください。これらのことを知っていれば、たとえ火の中を歩いても、悲しみによって傷つけられることはないでしょう。      ジョージ・マセソン


"'The road is too rough,' I said;
'It is uphill all the way;
No flowers, but thorns instead;
And the skies over head are grey.'
But One took my hand at the entrance dim,
And sweet is the road that I walk with Him.

我说这条崎岖不平,

一直要攀登山坡,

只有荆棘,没有花朵,

阴云密布,晴少雨多,

但有一位在入口处握住我的手,

与他同行就能轻快地走完这条路。

「道が険しすぎます」と、わたしは言った
「ずっと上り道が続いています
花はなく、代わりに刺が生えています
空はどんよりも曇っています」
しかし薄暗い入口で
そのお方に手をとられると
彼と共に歩む道はすばらしいものだった


"The cross is too great,' I cried—
'More than the back can bear,
So rough and heavy and wide,
And nobody by to care.'
And One stooped softly and touched my hand:
'I know. I care. And I understand.'

我说这十字架太重,

我的背脊难以背负,

这样粗糙、沉重而又宽阔 ,

没有人关心我的痛苦。

有一位和蔼地俯身摸我的手:

“我知道,我关心,我都清楚。“

「十字架が大きすぎます」と、わたしは言った
「背中に乗せられません
刺だらけで、重くて、大きくて
周りの人は、だれも助けてくれません」
そっとかが込んで
わたしの手に触れたお方があった
「わたしは知っている
わたしが助ける。わたしにはわかっている」


"Then why do we fret and sigh;
Cross-bearers all we go:
But the road ends by-and-by
In the dearest place we know,
And every step in the journey we

May take in the Lord's own company."

所有被十字架的人一同前行,

我们为何发愁而叹气?

这条路不久以后就要走完,

在我们熟悉的最可爱的地方,

在路途中的每一步,

都有主的陪同指引。

だから恐れたり
ため息をついたりする必要などあろうか 
十字架を背負って行こう
次第にゴールが近づいてくると
そこはわたしたちの知っている
懐かしい場所である
旅路を進む一歩一歩は
主ご自身が共に歩んでくださる





最后编辑于:2017-05-08 19:51
分类: 山涧驿站

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