文学少女4:五章 あれが、あたしの初恋でした

发表于:2015-05-10 19:48 [只看楼主] [划词开启]
时间:2015-05-10 19:47~2015-05-31 02:30
地点: 南京
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五章 あれが、あたしの初恋でした

 

 冴え冴えとした月に照らされた夜の道を、ぼくは息を吐きながらひたすら進んでいた。

 携帯電話の留守電には、森さんからの二件のメッセージの他に、琴吹さんからのメッセージが入っていた。

 か細い声で、救いを求めるように、

『井上……っ。夕歌のお祖母さんから、電話があったの。あたしの手紙、読んでくれて……。夕歌の家族は、一ヶ月以上も前に自動車が湖に落ちて……お父さんも、お母さんも、弟も、死んじゃったって……、遺書が見つかって、心中だって……。井上……井上、あたし、どうしたらいいの……っ』

 何故こんな大変なときに、ぼくは電話に出てあげられなかったのだろう。

 水戸さんの家族が、どうなったのかを知らされたときの琴吹さんの気持ちを考えると、自分が許せなかった。

 琴吹さんは、学校の友達のところへは行っていないと、森さんは言っていた。

 だとしたら、あそこかもしれない。

 水戸さんの家に、ようやく辿り着いたのは、真夜中過ぎだった。

 周囲の家の明かりがほとんど消えているせいか、一軒だけ荒れはてたその家は、前に来たときより、さらに不気味に感じられた。

 軋みながら揺れる門を通り過ぎ、足元に注意しながら、玄関へ向かう。

 すると、庭に面した窓から、かすかに明かりがもれているのに気づいた。

 そちらへ回り、割れたガラス越しに中をのぞき見ると、コートを着た琴吹さんが、部屋の隅のほうに、背中を丸め、膝に顔を埋めて、しゃがみ込んでいた。

 周りに、星や、天使や、ツリーの形をしたキャンドルが、バースデーケーキの蝋燭のように並んでいて、暗い部屋の中をほのかに照らしている。

 ぼくは驚かせないように、そっと窓を叩いた。

「琴吹さん」

 琴吹さんがのろのろと、顔を上げる。

「井上……」

 眉根を寄せ、涙でいっぱいの目でつぶやくのを見て、ちょっと安心した。

「よかった。ここにいてくれて。どうやって中に入ったの?」

「……窓……割れてるとこから手を入れて、鍵を開けたの……」

「そっか。お母さんが、琴吹さんが黙っていなくなっちゃったって、心配してるよ。それに、森さんたちも」

 琴吹さんは眉を下げ弱気に目を伏せたけれど、膝をぎゅっと抱え直し、立ち上がろうとしなかった。まだ気持ちの整理がつかないのかもしれない。あんな話を聞いてしまったのだから、無理もない……。

 ぼくはガラス窓を開け、靴のまま中に上がった。琴吹さんが伏せた目を、おずおずと上げてぼくを見る。

「隣、座るよ」

「……」

 返事を待たず、埃だらけのフローリングに、腰をおろす。

 琴吹さんはまた眉をちょっと下げ、顔を膝に乗せて体を丸めた。

 部屋の中は、家具もなく空っぽで、ひんやりとしていて、煙と黴の匂いがした。

 周りに灯された小さな炎が、オレンジ色に輝きながら揺らめいている。

「このキャンドル、どうしたの?」

「……クリスマスに……夕歌に、あげようと思って……少しずつ集めてたの……。夕歌は、ツリーとか、イルミネーションが大好きだったから……」

 か細い声に、胸が締めつけられる。

 イブは彼と、クリスマスはななせと。それは、叶うはずの約束だったのに……。

「夕歌ね……クリスマスツリーの中に住めたらいいのにって……よく言ってた。きらきら光って、綺麗だろうねぇって……毎日、パーティーを開いてるみたいな気分だろうねぇって……」

 声をつまらせ、琴吹さんが膝に顔を埋める。

 胸が、ますます苦しくなった。

 電話で、どこにいるのか尋ねたとき、水戸さんが歌うような口調で、『クリスマスツリーの中よ。そこがあたしの家なの』と答えたことを思い出す。

 きらきらした、夢のような非日常的な世界。

 水戸さんは、そんな幻のような場所に憧れていたのだろうか。

 そこへ、行きたかったのだろうか。

 琴吹さんが肩を震わせて、しゃくりあげる。

「夕歌の、家族が……死んじゃったなんて……夕歌は、このことを知ってるのかな……もう、帰るところがないなんて……そんなの、ひどすぎる。夕歌が可哀想だ。夕歌がいなくなっちゃったのは、ひとりぼっちになっちゃったからなのかな……」

 もしかしたら、そうなのかもしれないと、軋むような痛みとともに思った。

 援助交際をして学費を稼ぎながら、表面は明るく振舞い、プロのオペラ歌手になる夢を純粋に追っていた水戸さんは、家族が亡くなったことで、完全に日常から放り出されてしまったのかもしれない。

 帰る場所を失い、絶望した水戸さんにはもう、ファントムが作り出した幻影の王国しか残されていなかったのではないか。そこで生きるしかなかったのでは。

 だから、堤を脅して、主役を手に入れることもしたのかもしれない。

 歌姫として成功すること。その夢だけが、水戸さんを支えていたのかも。

 堤も言っていた。水戸さんは急に泣き出したり、虚ろな目で宙を見つめたりして、滅茶苦茶だったって……。きっと、あまり辛いことが続いて、心のバランスをとることができなくなっていたのだろう。

 琴吹さんは膝に顔を埋め、泣き続けている。

「……っ……夕歌は、今、どこにいるんだろう。……なにを、考えてるんだろう」

 もう強がることもできなくて、ただただ体を小さく縮めて泣くしかない琴吹さんが、可哀想でしかたなくて、どうにかして慰めてあげたいのに、うまい方法が見つからなくて、喉が苦しくなって、胸が裂けそうになる。

「ひっく……夕歌は、続麗で……明るくて、すごい夢を持っていて、それを叶えるために頑張ってて、ずっと、あたしの自慢だったの。きっと、夕歌は、今に有名なオペラ歌手になるんだって、わくわくしながら思ってた。け、けどね……っ」

 琴吹さんが声を震わせ、自分を責めるように告白する。

「本当は、あたし、ちょっとだけ、不安だったの。夕歌が、一人でどんどん遠くへいっちゃうような気がして……っ。だ、だから、あたしは、夕歌が�音楽の天使�の話をするのが、嫌だったの。だって……天使の話をしているとき、夕歌は、すごく楽しそうで、はしゃいでいて、あたしのこと、忘れてるみたいだったから。

 あたしは、ひっく……天使に、ずっと嫉妬してて、天使のこと悪く言ってたから——夕歌は、あたしに黙って、天使のところへ行っちゃったのかなぁ」

 泣きじゃくる琴吹さんは、まるで昔のぼくを見ているようだった。

 淡い闇の中で、記憶がゆっくりと、過去へと遡ってゆく。

 ぼくも、琴吹さんと同じ気持ちを抱いたことがある。

 大好きな人が、遠くへ行ってしまうんじゃないかって。

 

 ——あたし、作家になるんだ。あたしの本を、たくさんの人に読んでもらうの。

 

 ——美羽なら、絶対作家になれるよ。応援する。

 

 夢に向かって羽ばたこうとしている美羽がまぶしくて、大好きで、美羽なら誰よりも高い場所へ辿り着けると、誇らしい気持ちで信じていた。

 けれど、同時に不安で胸が潰れそうだったのだ。美羽が本物の作家になり、ぼくの手の届かないところへ行ってしまったらどうしようって。

 悔恨の沼に沈んでゆきそうなぼくを引き止めたのは、弱々しく洟をすする音だった。

 隣で、琴吹さんが声を噛み殺し、子犬のようにすんすんと泣いている。

 そうだ、昔のことを思い出している場合じゃない。琴吹さんを家へ連れて帰らなきゃ。

 いつまでもこんなところにいたら、風邪を引いてしまう。

 でも、どうしたら……。

「琴吹さん」

 すんすんという鼻声は、続いている。顔も膝に伏せたままだ。

「膝に、みみずが」

「ひゃっ!」

 琴吹さんは可愛い声をあげて飛び上がり、その拍子に足をすべらせ、すてーんと転んでしまった。

「わっ! ゴメン!」

 お尻を床に思いきり打ちつけた琴吹さんが、涙目でぼくを睨む。

「うぅぅ」

 マズい。怒ってる。

 気まずい空気が漂ったとき、琴吹さんの横を、触覚をはやした黒い生き物が、ごそごそ駆け抜けていった。

「あ……ゴキブリ」

「いやああああああああ!」

 琴吹さんが、前以上の悲鳴を上げて、ぼくにしがみついてくる。

 汗とシャンプーの匂いが鼻をくすぐり、細い腕が、ぼくの肩にしっかり巻きついた。

 琴吹さんは、ぼくの胸に小さな顔をうずめて、ふるふる震えている。

「琴吹さん、ゴキブリも苦手だったんだね」

「す、好きなやつ、いないと思う……っ」

「えと、その……」

 ぼくは、困ってしまった。

「琴吹さん」

「やっ、なにっ」

 怖そうに、胸にぎゅっと顔を押しつける。

 どうしよう。けど、やっぱり教えてあげたほうがいいよね。

「パンツ、見えてる」

「!」

 琴吹さんが、ばっと顔をあげ、後ろを見る。

 スカートが腰までめくれて、突き出たお尻と、しましまのパンツが丸見えなのを確認し、声にならない叫びを発し、両手でぼくを突き飛ばした。

「〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 そうして、泣きそうな顔でスカートをぱたぱたおろし、そのまま部屋の反対側の隅のほうへ走ってゆくと、ぼくに背中を向け、頭を抱えて縮こまってしまった。

「や、やだ、もぉ、やだ。バカバカ、最低」

「ご、ゴメン」

 こっそり直してあげたほうが、よかっただろうか。けど、気づかれたら痴漢と間違われそうだし……。

 それにしても、もろに見てしまった。白とピンクのしましま……。

 

(あ……)

 

 ふいに。

 キャンドルが、ゆらゆらとゆらめく中、一つの情景が、ぼくの脳裏に浮かんだ。

 木枯らしが、強く吹いていたあの日。

 銀杏の葉が、歩道にひらひらと舞う中。息を切らして走っていたとき——。

 もしかして……。

 ぼくは息をひとつのみ、つぶやいた。

「校章って……ひょっとして……」

 そう、舞い散る金色の葉、いつもの図書館へ続く道……。

「あの[#「あの」に傍点]、スカートを破いちゃった[#「スカートを破いちゃった」に傍点]?」

 背中を丸めて唸っていた琴吹さんが、真っ赤な顔をぼくのほうへ向ける。

 唇を尖らせ、怒っているような泣き出しそうな目で睨み、

「さ、最低……」

 悔しそうに唸り、また壁のほうを向いて丸まってしまった。

「なんで……パンツ見て思い出すの? 最低……、最低っ」

 ああ、やっぱり。

 琴吹さんは、あのときの女の子なんだ。

 中学二年生の冬。

 制服の上に丈の短いコートを着たその子は、なにかに腹を立てているみたいに、ぼくの前を大股で歩いていた。

 ぼくはそのとき、学校の用事が長引いてしまい、約束に遅れそうで焦っていた。

 図書館で美羽が待っているのに。早く、行かなきゃ。

 なのに、目が引き寄せられてしまったのは、その子のスカートが縦にぱっくりと裂けて、白とピンクのしましまのパンツが見えていたせいだった。勇ましく足を踏み出すたびに、グレイのプリーツスカートの間から、しましまが、ちらちらのぞくのだった。

 どうしよう、教えてあげたほうがいいかな。

 でも、男の子にそんなこと言われたら、恥ずかしいだろうし……。

 迷っていると、女の子のほうでも気づいたらしく、片手をお尻にあて、上下になで回したあと、ぎょっとしたように道の隅に移動した。

 スカートをぐるりと回し、裂けている部分を、つまんだり引っ張ったり、くっつけたりしながら、途方にくれているようだった。

 ぼくは、前に美羽がスカートの裾がほつれたとき、安全ピンで止めて応急処置をしていたことを思い出し、制服から校章をはずして女の子のほうへ近づき、差し出したのだ。

『あの……余計なお世話かもしれないけど、これで破れたところを止めるといいよ。大丈夫。ちょっとの間なら、誤魔化せるよ』

 その子の顔を、ぼくは覚えていない。

 状況が状況だったので、じろじろ見たら悪いと思ったし、ぼく自身も恥ずかしかったので、きっとまともに視線をあわせられなかったのだろう。

 女の子のほうも焦っていたみたいで、顔を伏せたまま、『えっ』とか『あぅ』とか唸っていたようだった。

 その手に、楓の形をした青い校章を乗せ、ぼくは、『じゃあね』と走り去ったのだった。

 

「校章で思い出さなかったのに……よ、よりによってパンツで……パンツで、思い出すなんて……」

 琴吹さんは、かたくなに背中を向けている。

 とても、話を聞いてくれそうな雰囲気じゃない。一晩中でも、ぶつぶつつぶやいていそうだ。

 弱ったなぁ……。

 ぼくは悩んだあげく、携帯を開き、琴吹さんの番号を呼び出した。

 琴吹さんのコートのポケットで、女性アイドルの可愛らしいラブソングが流れる。

 琴吹さんが呻くのをやめて、息をのむ。

 それから、ポケットから携帯を出して、耳にあてた。

「……」

 スピーカー越しに、琴吹さんの戸惑うような、掠れた吐息が聞こえてくる。

「もしもし、井上だけど。琴吹ななせさんと、話をしたいんだ。今、いいかな?」

「……な、なに」

 また息をのむ音がし、おずおずと、言葉が返ってくる。

 ぼくは、携帯に向かって話しかけた。

「まず、ごめん。ヒントまでもらったのに、ずっと気づかなくて。琴吹さんのこと、覚えていなかったわけじゃなくて、あのときは、恥ずかしかったから、ほとんど顔を見てなかっただけなんだ」

「べ、別に……、もういいよ。あたしも、そっかなって思ってたし……」

「けど、そのあと、毎日ぼくに会いに来たっていうのは、どういう意味? ぼくたち、一度しか会ってないよね?」

 琴吹さんの背中に緊張が走る。携帯から、ためらうような吐息とともに、ぽつぽつ声が流れてくる。

「井上……あのとき、名前も言わないで、走ってっちゃったでしょう。井上が図書館に入るのが見えたから、あたし、お礼が……言いたくて……スカートを止めたあと……図害館へ行ったの……っ。そしたら、井上は、ポニーテールの女の子と、楽しそうに話してた……」

 放課後、街の図書館で、美羽と過ごしていた日々のことが頭に浮かぶ。

 そこで宿題をするのが、ぼくらの日課だった。

 琴吹さんが、つっかえながら続きを語る。

「並んでテーブルに座ってて、すごく、いい雰囲気だったから………じゃ、邪魔しちゃ悪いと思って、声がかけられなくて……。けど、やっぱり、お礼、言ったほうがよかったかなって、家に帰ってから、ずっと後悔してた。

 それで、次の日も図書館へ行ったの。井上がいるかどうかわかんなかったけど……でも、行くだけ行ってみようって。

 そしたら、井上はまたあの子とテーブルに並んで座ってて、すごく嬉しそうに、笑ってたから……そのあとも、いつも井上はあの子と一緒で、いつも楽しそうで、あの子のことばかり見てて、タイミングがつかめなくて……」

 ぼくは驚いて尋ねた。

「毎日、図書館へ来てたの? ぼくにお礼を言うために?」

「バカみたい、あたし。まるで、ストーカーだよね」

 琴吹さんが、自分に腹を立てている口調で吐き捨て、それから急にまた気弱な感じの声になった。

「そ、それでね、ゴメンっ……。聞くつもりはなかったんだけど……井上たちの話が、勝手に聞こえてきて……。井上の名前とか、井上が、あの子のこと『ミウ』って呼んでることとか……」

 ぼくはハッとした。

「それで、美羽のことを�井上ミウ�だと思ったんだね?」

 琴吹さんが、びくっとする。

 それから、携帯を耳に押しあてたまま、顔をゆっくりとぼくのほうへ向け、先生に叱られるのを待つ子供みたいに、弱々しい目でぼくを見上げた。

「あの子……いつもルーズリーフになにか書いて、それを井上に読ませてたでしょう? 次の薫風社の新人賞に応募するって話してるのも、聞こえちゃって……。井上は、『ミウなら最年少で大賞がとれるよ』って言ってた——。

 だから、十四歳の中学生が賞をとったってニュースで話題になったとき、心臓が止まりそうになっちゃったんだ。あの子が、受賞したんだって。そのあと急に、井上もあの子も図書館に来なくなっちゃったから。やっぱりそうなのかなって……」

 琴吹さんの眼差しが、言葉が、過ぎ去った日々を思い起こさせ、胸を切なく締めつける。

 シャーペンで、ぼくの手の甲を軽くつついて、いたずらっぽく目配せをする美羽。揺れるポニーテール。爽やかな石鹸の香り。

 ささやかで、幸福な日常。

 

 ——コノハ、あたしのことが好き? あたしの目を見て、言ってみて。あたしが、好き? ねぇ? あたしは大好きよ。コノハは、あたしをどれくらい好き?

 

 いつもぼくをからかって、楽しんでいた美羽。『コノハは、あたしの特別よ、コノハにだけは、あたしの夢を教えてあげる』、ぼくの耳に唇をそっと押しあて、そうささやいた。

 あの瞬間、頭が沸騰し、心臓がはじけ、体がとろけてしまいそうだった。

 

 ——薫風社の新人賞に応募しようと思うの。大賞をとれば、あたしの原稿が本になるのよ。歴代の受賞者で最年少は十七歳だって。あたしは、それより早く受賞したいなぁ。

 

 ——美羽なら、きっと最年少で大賞がとれるよ。美羽の小説が、本になるのが楽しみだな。最初のサインは、ぼくに書いてね。約束だよ。

 

 美羽は気が早いよと、くすくす笑っていた。

 琴吹さんは、あのとき、ぼくらと同じ場所にいたんだ。

 ぼくと美羽のことを、ずっと、見つめていたんだ。

 あの、無邪気で、幸せだった時間を——。

 激しい痛みが、喉に込み上げる。

 琴吹さんが誤解しても無理はない。

 はじめに小説を書いていたのは、美羽だった。ぼくはずっと美羽の読者で、見よう見まねで小説らしきものを書きはじめたにすぎなかったし、それを美羽に内緒にしていた。

 十四歳の天才美少女作家になるつもりなんてまったくなくて、あの幸せな日々が、あんなにあっさり崩れ去るなんて、思ってもみなかったのだ。

 あの頃のぼくを知っている琴吹さんに、儚げな目で見つめられていることが苦しくなり、ぼくは掠れた声で言った。

「それは、きみの勘違いだよ。美羽は、井上ミウじゃない。井上ミウは、美羽じゃなくて——……」

 琴吹さんは続きの言葉を待つように、携帯を耳に当てたまま、じっとぼくを見つめている。

「ミウは……井上ミウは……」

 言葉が喉にからまって、息がどんどん苦しくなる。携帯を持つ手が冷たく凍えてゆく。

 琴吹さんが、吐息のように小さな声で尋ねる。

「あの子が、井上ミウじゃないなら……今、あの子はどうしているの?」

 その瞬間、心臓が握り潰されるような激痛と、嵐のようなどす黒い幻影が、ぼくを襲った。

 初夏の屋上。揺れるスカートの裾とポニーテール。寂しそうな顔で振り返り、微笑む美羽。最後の言葉。

 

 ——コノハには、きっと、わからないだろうね。

 

 逆さまに墜ちてゆく美羽。絶叫するぼく。

 パズルのピースがバラバラになるように、崩壊してゆく世界。

 重く硬い記憶の扉が、軋みながら開いてゆき、悪意に満ちた声が、残酷に響き渡る。

 

 ——あんたみたいなやつは[#「あんたみたいなやつは」に傍点]、気づかないんじゃない[#「気づかないんじゃない」に傍点]。知りたくないだけなんだ[#「知りたくないだけなんだ」に傍点]。

 

 ——あんたや、井上ミウみたいなやつが、無邪気に人を追いつめ、傷つけるんだ。

 

 違う! やめてくれ! 美羽を追いつめたのはぼくじゃない!

 ああ、けど。

 見えない手に心臓が握り潰され、喉がぎりぎりと締めつけられ、息ができなくなってゆく。

 ぼくは[#「ぼくは」に傍点]、なにか大事なコトを忘れているんじゃないか[#「なにか大事なコトを忘れているんじゃないか」に傍点]?

 心に幾重にも鍵をかけて[#「心に幾重にも鍵をかけて」に傍点]、思い出さないようにしているんじゃないか[#「思い出さないようにしているんじゃないか」に傍点]?

 

「井上!」

 琴吹さんが立ち上がり、ぼくに駆け寄った。

 ぼくは床に膝をついて、がくがく震えながら浅い呼吸を繰り返していた。

「どうしたの!? すごい汗だよ?」

「……っく、大丈夫だよ……ありがとう」

「ゴメン。あたしがヘンなこと訊いたから」

「そうじゃない。きみのせいじゃない」

 泣き出しそうな琴吹さんを安心させるため、乾いた唇でぎこちなく微笑んでみせる。

「美羽とは、もう会えないんだ。遠くへ引っ越しちゃって、それきり連絡がとれないんだ……」

 琴吹さんが眉を下げ、息をのむ。

 発作はどうにかおさまったけれど、代わりに、胸を切り裂くような後悔が押し寄せてくる。

 二年前のあの日、屋上から飛び降りた美羽は、一命を取り留めた。

 ちょうど下が植え込みになっていたのと、途中でポールに引っかかり、落下の速度が弱まったのが、美羽の命をこの世に繋ぎ止めたのだ。

 けれど、しばらくの間は予断を許さない状況が続き、病院も家族以外は面会|謝絶になっていた。

 ようやく意識を取り戻したものの、治療をしても障害が残り、これまでのように歩いたり、手を動かしたりすることはできないということを知らされたとき、ぼくは再び闇の中に突き落とされた。

 美羽はどんな気持ちでいるのだろう、どうして屋上から飛び降りたりしたのだろう、どうして、ぼくにあんなことを言ったのだろう。ぼくのことを、今、どう思っているのだろう。

 美羽が飛び降りたのは[#「美羽が飛び降りたのは」に傍点]、ぼくのせいなのだろうか[#「ぼくのせいなのだろうか」に傍点]——!

 美羽に会って話を聞きたかったけど、美羽は会ってくれなかった。ぼくも、美羽の口から真実を聞くのが、震えるほど怖かった。毎晩、美羽が墜ちてゆく夢を見てはうなされて跳ね起き、トイレで吐き、ベッドに戻っても眠れず、シーツをかきむしりながら、朝まで過ごした。

 美羽に会いたい。

 けど、怖い。

 会いたくない。

 毎日、毎日、押し潰されそうな気持ちで病院まで行って、受付で、美羽には会えないと告げられるたびに、心が刃物で切り裂かれて、ずたずたになって。

 そうするうちに、答えがわからないまま、美羽は引っ越してしまった。誰も美羽の行き先を知らなかった。

 美羽は、ぼくになにも告げずに、いなくなってしまったのだ。

 そのあと、ぼくは急に息ができなくなる発作を繰り返し、学校で倒れて、救急車で病院に運ばれたりし、しまいには引きこもりになった。

 二作目を急かす出版社の人たちに、もう小説は書かない、なにも書けない、小説も井上ミウも大嫌いだ、ぼくは井上|心葉だ、ミウじゃないと泣きながら訴え、連絡を完全に絶ち、井上ミウという作家は、この世からいなくなった。

 二年以上の時が過ぎ、その間、美羽からの便りは一度もなく、消息を聞くこともない。

 もともと美羽は、クラスの女の子たちから浮いていて、ぼく以外に親しい友達はいなかったから……。

 きっともう、二度と会えない。

 美羽はぼくを許さないまま、遠くへいってしまった。

 琴吹さんは、張り裂けそうな表情で、ぼくを見つめている。

 ぼくの気持ちを傷つけてしまったのではないかと、悔やんでいるのだろうか。手で髪をぐしゃっと握りしめ、必死な、苦しそうな声で、言った。

「ご……ゴメンね……あたしって、どうしていつも、余計なこと言っちゃうんだろう……。あたし、ガサツで、口のききかたとか知らないから、中学の時、男子に性格悪いって嫌われてて……先生にも反抗してるって思われて、睨まれてたんだ。ヤダ……全然変わってない。自分が情けなくなる……ホントは、夕歌みたいに、社交的で優しい女の子になりたかったのに」

 そうして、しょんぼりとうつむいた。

「琴吹さんは性格悪くなんかないよ。クラスにもいい友達がたくさんいるじゃないか」

 琴吹さんが目を伏せたまま、うるんだ声でつぶやく。

「それは。みんな夕歌のおかげなの……。中学の頃からずっとあたしのことを助けてくれて、励ましてくれた。ななせは、もっと笑ったほうがいいよって言ってくれた……。そうしたら、ななせが怒ってないって相手に伝わるからって……。そんな風に、いつもアドバイスしてくれたの。なのに、あたしは夕歌に頼るばっかりで、夕歌が困っているときに、全然助けてあげられなかった」

 ほのかなキャンドルの明かりが、琴吹さんの哀しそうな横顔を照らし出す。白い頬の上で、オレンジの炎がゆらゆら揺れている。

 ぼくと同じように、琴吹さんも大切な人を失った。

 突然に失われ、変わってしまう日常。

 それに直面したときの、体がばらばらに裂けてしまいそうな痛みと、絶望を、ぼくも知つている。

 どうして。

 何故。

 この間まで、きみは確かに幸せそうに笑っていたのに。

 二人で手を握りあって過ごす、おだやかであたりまえの日常が、いつまでもいつまでも、永遠に続くと信じていたのに——。

 胸の奥で繰り返される、答えの出ない問い。終わりのない後悔。癒されない痛み。

 今、膝を抱えてうつむいている琴吹さんは、二年前のぼくだ。

 けれど、ひとつだけ違うことがある。

 琴吹さんはまだ、水戸さんを完全に失ったわけじゃない。

 琴吹さんが水戸さんの身を案じているように、水戸さんも琴吹さんのことを心配している。失踪したあとも、琴吹さんにメールを送り続けていたのも、ぼくに電話をかけてきたのも、きっと、琴吹さんを傷つけたくないから。

 琴吹さんは片想いじゃない。水戸さんも、琴吹さんを想っている。

 ラウルは、善良で育ちのいいお坊ちゃまで、ファントムに対抗できるような力は持っていない。

 けれど、彼が地下の帝国に果敢に踏み入ったように、今、アクションを起こせば、フアントムの手からクリスチーヌを奪還することができるかもしれない。

 ラウルを助けるペルシア人の役割が、ぼくに務まるかはわからないけれど。

 今ならば、間に合うんじゃないか。

 ああ、でも。地下の帝国へ向かうということは、水戸さんが隠してきた真実を暴くことでもある。

 これまで水戸さんがなにをしてきたのか、そしてこれから、なにをしようとしているのかを、琴吹さんは知ることになる。大好きな自慢の親友が、援助交際をし、主役を得るため脅迫までしていたという事実を、琴吹さんは受け入れることができるのか。

�本当の�水戸さんの姿が、どれほど暗く陰惨なものであったとしても——琴吹さんが知っている彼女とまるで別人であったとしても——琴吹さんは、水戸さんと親友であり続けることができるのか?

 もし、ぼくなら——。

 鋭い痛みが、胸を刺し貫く。

 ぼくは、美羽のすべてを知りたいと思っているのだろうか?

 美羽の�真実�を。

 あのとき美羽が、何故、飛び降りたのか? 何故、急によそよそしくなったのか? 口をきいてくれなくなったのか? 一人で先に帰ってしまうようになったのか? 刺すような目でぼくを見つめ、憎しみを向けたのか?

 あの寂しそうな微笑みの理由も。

 ぼくは[#「ぼくは」に傍点]、知りたいのだろうか[#「知りたいのだろうか」に傍点]?

 たとえそれが、どんなに辛い真実でも? これまで以上の苦しみと絶望が降りかかってきて、二度と立てないほど打ち据えられることになっても?

 痛みに耐えきれず、狂ってしまっても?

 真実を知ることが[#「真実を知ることが」に傍点]、絶対に正しいこととは限らないのに[#「絶対に正しいこととは限らないのに」に傍点]——。

 頭の中に、叩きつけるような声がとどろく。

 おまえは、知りたくないだけなんだ。おまえは臆病者の偽善者だ。自分が被害者みたいなふりをして、真実から目をそむけて逃げ続けているんだ。

 傷口に、赤く焼けた鉄の棒を突っ込まれて、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられているような激痛に、息がつまり、倒れそうになる。

 やめてくれ! それ以上責めないでくれ!

 やっと平穏な生活に戻れたのに。井上ミウのことなんか忘れて、やり直せると思ったのに。毬谷先生だって、言ってたじゃないか。真実が救いをもたらすとはかぎらないって。知らないほうが幸せなこともあるって。

 そうだ、ぼくは、知りたくない! 知りたくないんだ!

 こんなに苦しいのに——耳をふさぎ、目を閉じて、うずくまって耐えるしかないほどに、真実へ続く扉を開くことが怖い。

 美羽の気持ちを知るのが、怖くて怖くてたまらないんだ。美羽に憎まれているとわかったら、きっと生きていけない——。

 葛藤するぼくの隣で、琴吹さんは膝に顔を埋め、肩を小さく震わせている。

 琴吹さんは——? 琴吹さんなら、どうする? 胸を抉る痛みに悶え苦しんでも、親友の�真実�を知りたいと思うか?

 ぼくと同じ立場にいる琴吹さんなら、深い闇に押し潰されそうな、この恐怖や不安を、わかってくれるんじゃないか。ぼくらはじゅうぶん傷ついていて、これ以上、どんな裏切りにも、憎しみにも、耐えられないと——。

 ぼくは、低い声で尋ねた。

「琴吹さん……。もし……もしも、水戸さんが、琴吹さんが思っているような人ではなくても……本当のことを知りたいと思う?」

 琴吹さんが顔を上げ、ぼくを見てハッとする。

「もし……水戸さんが犯罪者だとしても、琴吹さんを裏切っていたとしても……きみは、知りたいと思える?」

 何故ぼくが、急にそんなことを言い出したのか、琴吹さんはわからなかったろう。

 けれど、消え入りそうなぼくの声や、震える唇や、哀願するような目から、そこに込められた暗く澱んだものを感じ取ったのだろう。張りつめた不安そうな顔で、ぼくを見上げる。

 炎がゆらゆらとゆらめき、煙の匂いが鼻を突き、空気がぴりぴりと肌を刺す。

 琴吹さんは、弱々しく眉を下げ、つぶやいた。

 

「……あたしは、知りたいし、夕歌を助けたい」

 

 とたんに——、胸がいっぱいになり、泣きそうになった。

 ぼくが、怖くて出せなかった答えを、あたりまえのように口にした。

 ファントムに対抗する力を持たない、弱くて優しくて、意地っ張りで泣き虫な、本当に普通の女の子なのに、知りたいと言った、助けたいと言った。

 単純で強いその言葉に、胸がどうしようもなく震えて——、愛しさとか、勇気とか、願いとか、守りたい気持ちとかが、次々込み上げてきて、ぼくは琴吹さんを抱き寄せた。

 冷え切った小さな体が、ぼくの腕の中で、驚いたように震える。

「い、井上……っ」

 臣くんの言葉には、もう揺るがない。

 琴吹さんが示してくれた勇気が、臆病なぼくを奮い立たせ、引き上げてくれた。

 きみが、ぼくに、教えてくれた。

 今、触れることのできる、あたたかで確かなものを、しっかりつかまえようとするように、ぼくは琴吹さんを強く抱きしめた。

「一緒に……水戸さんを捜そう。もう一度、手伝わせて。お願い、最後までそばにいさせて」

 ためらうように伸ばされた小さくてか弱い手が、ぼくの背中をぎゅっとつかむ。

 琴吹さんが、しゃくりあげなら、「うん」とうなずいた。

 黴と煙の匂いのする空っぽの部屋は、ほのかなキャンドルの明かりに照らされている。

 目に涙をにじませて抱きしめ合うぼくらは、とても弱くて、けれど二人ならば、強くなれるんじゃないかと思えた。

 もし、この先、真実を知ることで琴吹さんが傷ついたら、そのときは、ぼくが琴吹さんを支えよう。

 琴吹さんと一緒に、最後まで目をそらさずに、水戸さんの真実を見つめよう。

「きっと、クリスマスまでに水戸さんは帰ってくる。琴吹さんとの約束を守ってくれる。今は、そう信じよう」

「うん……うん……」

 ぽたぽたとこぼれるあたたかな涙で、ぼくの首筋をぐっしょり濡らしながら、琴吹さんが何度も何度もうなずく。

「ありがとう……。校章……くれたことも……。ありがとう……ずっとお礼、言いたかった……。ありがとうって言いたかった……井上のこと……ずっと見てた」

 そうして泣きながら、小さな声で、つぶやいた。

「井上は……あたしの、初恋だったんだよ」

 

[#中央揃え]◇    ◇    ◇

 

[#ここから太字]

 どこで道を踏み外してしまったのだろう。

 天上に響く歌声も、聴衆の喝采も、私を幸せにはせず、災いをもたらしただけだった。

 そんな、うたかたのように消え失せる不確かなものを欲しがらなければ、ファントムにつけいられることもなかったのに。

 才能なんて、私には必要ではなかった。

 井上ミウの本のページをめくるときに感じる、あの澄んだ優しい感覚。あたたかで、平和な日常。

 普通に学校へ通って、友達と話したり、勉強をしたり、お弁当を食べたり。

 放課後、待ち合わせて一緒に帰ったり、図書館で二人で宿題をしたり……笑ったり。

 イブにはプレゼントを交換して、ずっと一緒にいようって約束して……指と指をからませあって……。

 そんな、あたりまえの毎日だけでよかったのに……。

 彼の手にふれるときに込み上げる、ひだまりのような愛おしさと、ななせの笑顔を見るときの、はずむような喜びだけで、じゅうぶん幸せだったのに。

 

 ななせ、ななせ。

 今、なにをしている? なにを考えている?

 私は、ななせのことを考えている。大事なものなんて、もうななせしかない。

 ななせが幸福だといい。ななせの願いが、全部叶えばいい。

 本当は井上ミウは、嫌い。ずっと嫌いだった。ううん、違う。そうじゃない。ただ綺麗すぎる世界を見ていると、胸が潰れるようで、辛くてページをめくれないだけ。

 

 私は指輪をはずしてしまった。

 

 もう戻れない。

 日の光は、私には眩しすぎる。

 私を汚し、闇に突き落とした連中を、私は憎まずにはいられない。

 彼らに復讐をする。

 仮面をつけファントムになり、追いかけ、追いつめ、幻想の迷言に封じ込め、じわじわとなぶり、とどめを刺すのだ。

 許しを乞うても、もう遅い。屈辱にまみれ、穢れにまみれ、人であることをやめた私の唇からこぼれる、弔いの歌を聴くがいい。

 私を欺いた天使、私を動物のように扱った男たち、おまえたちが、私をファントムにした。

 みんな、みんな、呪われてしまえ!

[#ここまで太字]

[#改ページ]



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