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神道の要領と心得 ①礼拝 れいはい

半鬼半地藏 (鬼蔵(きぞう)) 中级粉丝
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发表于:2015-07-21 01:19 [只看楼主] [划词开启]
礼拝

 礼拝は、ヲガムとも読む。拝むには、折屈(ヲリカガム)の意味がある。

 礼拝という言葉には、神霊に向い身を折り屈めて、それを頭上に戴いて尊奉の意を表すという意味がある。ここでは、人を一つの小天地と考える。すると、人の身体は上中下の天地泉の三界に分けることができる。そして、頭は上にあって天のように尊く、足は下にあって黄泉(よみ)のように卑しく、腹部は中間にあって大地にたとえられ、その天には天地を主宰する天神が存在するため頭は同様に尊いのである。これは、人が他に向かって容易に頭を下げることがない本来の理由である。しかし、自分より尊敬すべきものに対しては、必ずその立場や作法に応じて自ら平身低頭して尊崇の意を表す。これが人類に礼節がある所以である。したがって、神明に対する礼義として人は神々を頭上に戴いてその神徳に対して報いる。そのとき、頭を低くするには必ず身体を折り屈めなければならないため、これが礼拝という名の由来となった。その拝式には、数などによっていくつかの種類がある。

     再拝

     両段再拝

     四度拝

     八度拝



礼拝の起源

 礼拝の起源は、神代の神人の始祖である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の二柱の神が、天神からこの漂える国を修め理り(つくり)固め成せと詔いて天瓊矛(あめのぬぼこ)を授けられた時、拝んでこれを受けたことを起源とする説や、イザナギノミコトの禊の段に、中瀬にオリカヅキテとあるカヅクはヲガムの意味を兼ねるものであることからこれを起源とする説もあるが、これらは起源とはならない。

 天照大御神が天石窟(あめのいはや)に隠れたとき、八百万神(やほよろづのかみ)たちが種々の物を供え、天太玉命(あめのふとだまのみこと)は御幣(みてぐら)を取持ち、天兒屋命(あめのこやねのみこと)は太詔戸言(ふとのりとごと)を祷き白して、とある。これが世に伝わる礼拝の起源である。その後、天孫降臨のときに天照大御神が宝鏡を持たせこれを我が御魂としてわが身を拝み斎奉るようにとこれを授け、その神事の宗源を主とする天太玉命や天兒屋命も従って天降ったことから、これによって礼拝の儀が正しく世に伝わるこことなった。神武天皇の御世には、その天太玉命や天兒屋命の子孫がその父祖の神等より伝授を得て、後の歴朝にも伝わり、神祇官である神祇伯はこれを行い、今日まで伝えられてきたのである。




礼拝の心得

 神明を礼拝するということは、自らが現世にいながら神明に謁することである。社殿斎場において神明を拝礼する時には、必ず社殿や斎場に正しく神霊が儼存していることを観想し、忘念雑慮を起こさず、慎んで謁し敬む心を失ってはならない。 

「人の目には見え給はぬ故に、隠身(かくしみ)というを略きて、神(かみ)とはいへるなり。」

人は耳目を信じるもので、耳目に触れるものを有る、耳目に触れないものを無いする。人目に触れない神明の有無を疑いそれを無いとして、単に神明の前に低頭平伏して形式上の虚礼を行い過ごすことを、非礼という。非礼は神明を涜するものである。神明は非礼を受ることはない。慎むべきである。




拍手の本義

 礼拝の際には必ず拍手をする。拍手は、祓いと鎮魂との両方の意味を持つ。礼拝では、上で述べたように雑念があってはならない。拍手はその音と共に雑念を払い、至誠を凝固して神明と合一させる。雑念を払う点から言えば拍手は祓の儀であり、至誠を凝す点から言えば鎮魂の儀である。

  宮地嚴夫『神道要領』第一禮拝 より

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