既然进来了,搬运一个日本朋友読書の手記。朋友们可以试着翻译

发表于:2015-09-27 21:44 [只看楼主] [划词开启]

ぼくさん:HSK六级考试,终于通过了。谢谢大家! 

这次有了考试结果。我参加的HSK六级考试,通过了!我高兴得不知道说什么才好。我每天用lang8投稿,你们朋友们每天精心详细地修改我的翻译。为了提高我的翻译水平,效果特别好。我特别感谢大家!





不知者无罪吗

意図無ければ罪も無しか  浜 矩子 新聞掲載論文より
人の足をいっぱい目いっぱい踏みつけても、意図が無ければ、相手が痛がらないのか。相手がいくら痛がっても、「だって知らなかったんだもん」と舌を出してそっぽを向くのか。その気が無ければ、人を車でひき殺しても、相手は死なないとでもいうのか。
こちらにその気が無ければ、相手はひき殺されても仕方がないのか。
かくも幼児的感覚で政治が執り行われていいのか。政策が形成されてもいいのか。
子どもと大人の最大の違いは、どこにあるか。
答えは明らかだ。
それは、人の痛みが分かるか否かにある。
新生児には、人の痛みが全く分からない。
そこから出発して、人間は次第に人の思いに心を配るようになる。
そして願わくば、人の痛みを自分の痛みとして受け止めることができるようになる。
そのような魂の力こそ、大人の力だ。

知里幸惠和《阿伊努族神能乐集》

知里幸恵と『アイヌ神謡集』 出典: ウィキペディア(Wikipedia)、一部修正

知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年~1922年)は、北海道登別市出身のアイヌ人女性。
19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ民族・アイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。
近年、マスコミや各地のセミナー等でその再評価の声が高まっており、また幸恵への感謝から2010年9月19日「知里幸恵」銀のしずく記念館が開館した。

写真は、彼女が死去する2ヶ月前、滞在先の東京の金田一京助の自宅庭で撮影された。

《在旅游中给你的一封信》 水野叶舟

旅からのはがき 水野葉舟

今やっと遠野に着いた。夜の十時半だ。
日はちょうど、宮守と鱒沢との間で暮れた。
山の中腹を縫った道を永いあいだ馬車が駆けて行くうちに、四方が次第に暗くなって来た。
おまけに雪が降り出した。鱒沢を過ぎる頃にはもう吹雪だ。
馬車に腰をかけて肩から上のところは窓、その窓に垂幕があるばかり、外の雪は容赦なく吹き込んでくる。寒さにたえられぬ。
僕は外套でしっかりとからだを包んで坐っていた。
足の先が切れるかと思うほど冷かった。

《日记》 知里幸惠

日記 知里幸恵

奥様が、来年の春までいて頂戴と仰る。
勿体ないこと。
岡村千秋さまが、「私が東京へ出て、黙っていればそのままアイヌであることを知られずに済むものを、アイヌだと名乗って女学世界などに寄稿すれば、世間の人に見さげられるようで、私がそれを好まぬかも知れぬ」という懸念を持っておられるという。
そう思っていただくのは私には不思議だ。
私はアイヌだ。
何処までもアイヌだ。
何処にシサムのようなところがある?! 
たとえ、自分でシサムですと口で言い得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。
シサムになれば何だ。
アイヌだから、それで人間ではないという事もない。
同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。

《明天天气转晴就好了》 坂口安吾

明日は天気になれ 坂口安吾

先日友人のところへ群馬県下仁田というところから女中がきた。
そのとき女中が就職条件として、「どうかコンニャクだけは食べさせないで下さい」 とたのんだそうである。
下仁田は日本一のコンニャクの名産地だそうで、コンニャクは下仁田と相場がきまったものだそうだ。
それで下仁田自身コンニャクを産するばかりでなく、全国からコンニャクの原料が集まり、ここで加工荷造りして、下仁田コンニャクと名を改めて全国へ売りさばかれるのだそうだ。
下仁田はコンニャクのほかにネギも名産地で、全村コンニャクとネギ以外に何もないそうだ。
友人宅の女中となった娘は米の代わりにコンニャクを食べる村の生活に絶望し、コンニャクから逃れたい一心で女中になったのだそうである。
しかしまた下仁田周辺は天下名題のコーズ牧場はじめ大牧場地帯で、見はるかす山も平野も牛とコンニャクとネギだというから、そっくりスキヤキ地帯でもある。

《糙叶果实的回忆》 新美南吉

椋の実の思い出 新美南吉

勝次はやがてふっくらとふくらんだ懷をおさえながら、復枝を伝いかけた。
その時の彼の顏は本当に得意そうだった。
が、その時……。みなは等しく驚きの眼を見張った。
と、その瞬間、彼の身体は毬の様に下へ落ちて行くのだった。
皆が驚いてやっと木から下りた時には、勝次の身体は冷たい石の上にうつむいて横たわっていた。
彼の懷からは青い椋の実が四辺へ散りこぼれ出していた。
勝次は足を折って皆に運ばれ、遂に遠くの病院へかつがれて行った。
そして未だに村へは帰って来ないのだ。
皆が先生に何度もきいた事もあった。
けれどもやっぱり先生も何にも知らないらしい。
今は背戸川のかんからの時だ。
勝次の懐からこぼれ出たような青い椋の実が、今もあの石の四辺には散りこぼれているだろうが、勝次は一体どうしているだろう――。

《横纲》 太宰治

横綱 太宰治

二、三年前の、都新聞の正月版に、私は横綱男女ノ川に就いて書いたが、ことしは横綱双葉山に就いて少し書きましょう。
私は、角力については何も知らぬのであるが、それでも、横綱というものには無関心でない。
或る正直な人から聞いた話であるが、双葉山という男は、必要の無いことに対しては返辞をしないそうである。
お元気ですか。お寒いですね。おいそがしいでしょう。
すべて必要の無い言葉である。双葉山は返辞をしないそうである。
何とか返辞をしろ、といきり立ち腕力に訴えようとしても、相手は、双葉山である。どうも、いけない。
或るおでんやの床の間に「忍」という一字を大きく書いた掛軸があった。
あまり上手でない字であった。
いずれ、へんな名士の書であろうと思い、私は軽蔑して、ふと署名のところを見ると、双葉山である。
私は酒杯を手にして長大息を発した。
この一字によって、双葉山の十年来の私生活さえわかるような気がしたのである。
横綱の忍の教えは、可憐である。

最后编辑于:2015-09-27 21:46
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